鼎談インタビュー文字起こし
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提供されたソースに基づき、誰がどのような会話をしているかを時系列でまとめます。この会話には、西尾さん、グレンさん、オードリーさん、関さん、そしてアレックスさんが参加しています。会話は主に、プルラリティの概念を日本の文脈に落とし込むこと、特に公共セクター、プライベートセクター、そして個人の3つの領域におけるプルラリティについて掘り下げる目的で行われました。
1. 会話の開始と議題の確認
会話は、西尾さんの挨拶と今回のテーマの確認から始まります。また、「プルラリティを日本のコンテクストに落とし込むことが非常に重要」であると述べ、関さんの参加に感謝しています。
西尾さんは、参加者が異なる国から来ていることを踏まえ、それぞれの国の経験や感覚に基づき、「なぜプルラリティが必要だと思うのか、何が今の現実には足りていないのか」を順番に聞きたいという意向を示します。
2. プルラリティの必要性と各国の現状
オードリーさんは、自身にとってのこの本の仕事が2012年頃、g0v(ガブゼロ)コミュニティを始めたことに由来すると述べます。政府のデジタルサービスの不備に対する国民の意見や怒りを、破壊的な力ではなく、協創の力として捉える新しい方法として始まったと説明します。台湾では辞書プロジェクトや予算の可視化、議事生中継など、多くのプロジェクトが行われたと言います。
関さんは、同時期にCode for Japanも同様の活動をしていたことに触れつつ、台湾の貢献は、この協創の取り組みを市政や都市規模ではなく、速やかに国家規模にエスカレートさせた点にあると述べます。その結果、クラウドソーシングが2014年末に国の方向性となり、2017年以降、制度化されたインフラ構築の戦略として活用されていることを説明します。
グレンさんは、米国、台湾、日本がこの問題に関してそれぞれ異なる、しかし互いに関係性を持った位置にあると分析します。日本には能力(capacity)、コミュニティ、ケイパビリティはあるが、おそらくモチベーションが足りない。米国にはモチベーションはあるが、キャパシティが足りない。台湾にはその両方があった。それぞれの強みを活かして広げていく時期であると述べます。
グレンさんとオードリーさんは、本の日本語版の序文を英語版と同じにすべきではないと話し合います。英語版が危機の感覚から入るのに対し、日本語版では「どうすればできるか」という事例を示すことで、日本のようなより大きな社会にスケールできることを示す必要があると提案します。台湾版(中国語版)では、台湾の物語から始め、西欧の問題に触れることで、英語版とは順番を逆にしていると言います。オードリーさんは、日本語版でも日本の経験を直接引き出すべきだと強調し、本の紹介にはないが、日本の文化や伝統(例えばドラえもん、盛岡での活動、エドワード・デミングの思想)はプルラリティをスケールさせる上で豊かな示唆に富むと述べます。日本の人々がこれを自分事として捉えるためのモチベーションになるだろうと語ります。
盛岡での活動とは?
関さんは、グレンさんの指摘通り、日本にはモチベーションが足りないという感覚に同意します。自身の活動も、東日本大震災を機にエンジニアリングスキルを社会改善に活かそうとCode for Americaを参考に始めたものの、技術の適用だけでは社会の根本的な部分を変えられないことに気づいたと言います。対処療法にはなるが、人々の心やモチベーションを変えることには繋がりにくいと感じたと述べます。
関さんは、この課題を解決するために行政側に入り、彼らが何を大切にしているのか、なぜ話が合わないのかを学び始めたと言います。コンセプトの違いに悩みつつ、g0vのサミットで「継続的な改善」という考え方に出会い、ハッカソンで作ったツールを使い続けるだけでなく、行政の人たちを招いて一緒に手を動かすことを続けることで信頼が構築され、共通のビジョンが生まれることを学んだと言います。
グレンさんは、プルラリティの本がアジアの未来を定義する上で重要な役割を果たす可能性に言及します。アジアが自らの責任を引き受けるべき時であり、台湾が素晴らしいデモンストレーションケースを示したが、それをインドや東南アジアに伝えるメッセンジャーは日本かもしれないと提案します。西尾さんは、日本の経営者には市場での支配よりも地域を豊かにすることを重視する思想があるため(水道哲学など)、プルラリティは彼らにとっても重要なメッセージを持つビジネス書であると指摘します。
3. プライベートセクター(企業)におけるプルラリティ
西尾さんは、民間企業が社会的な価値に投資したり、コミュニティと一緒に活動したりすることが今後の重要なポイントになると述べます。Code for Japanもトヨタファウンデーションなどと連携してリビングラボのような活動を行っていることに触れ、企業が継続的なリソースやサービス展開能力を持っているため、ビジョンを共有できれば投資を厭わないと語ります。
(Code for Japanもトヨタファウンデーションなどと連携してリビングラボのような活動を行っている確認)
グレンさんは、プルラリティがビジネスの核となる部分、生産プロセス、組織の技術変化への対応にもメッセージを届ける必要があると述べ、市民活動からのイノベーションが企業の生産性向上に繋がることを示せれば、企業が市民的・民主的な空間に投資する理由がより明確になると語ります。AIは多くの hype を集めているが、組織変革には繋がっておらず、プルラリティにはそのチャンスがあると考えていると言います。
関さんは、オープンソースプロジェクトの多くが継続力に欠け「死んでしまう」というシビックテック特有の課題に直面していると述べます。スタートアップのように投資によるリソース投入のメカニズムがないため、この問題を解決するために、プライベート企業から100億円を集め、株式市場で運用し、その利益をクアドラティックファンディングなどの資金として提供する新しい基金(社会的インパクトに対するヘッジファンドのようなもの)の設立を計画していることを紹介します。
アレックスさん(???)は、公共財のファンディングについて、過去はプライベートとパブリックが完全に分離していたが、プルラリティの本はクアドラティックファンディングなどを通じて、私的な市場からのシグナルを利用して公共性の高いものを発見し、異なる資金源にアクセスする方法を示していると解説します。
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グレンさんは、Githubの成功が組織内の「オープン」にあるように、企業内でプルラリティを実践するSaaS(Software as a Service)が登場する可能性に言及し、それが収益源となり、シビックテックの正当性を高めることに繋がると考えます。
西尾さんは、企業内のプルラリティを増やす方法として、**社員が複数の企業に勤める「パラレルワーク(副業)」**をサイボウズが推奨していることに触れ、これが企業間の「インターセクティンググループ」を生み出し、企業をまたぐプルラリティの形が日本で可能になるのではないかと提案します。グレンさんも、企業を公共財の環境として捉え、境界を越えるインセンティブを与えることが重要だと述べ、Microsoftの「One Microsoft」哲学にも触れます。
関さんは、企業が協力する際には、プルラリティのためという抽象的な理由だけでなく、気候変動や少子化のような具体的な課題領域をテーマにすることが重要だと指摘します。西尾さんは、クアドラティックファンディングが「何について具体的に協力していくのか」というシナジーを発見する良いツールになる可能性を示唆し、関さんもそれに共感します。
オードリーさんは、台湾のPublic Digital Innovation Space (PDIS) の組織構成(官僚とシビックテック人材が半々)や機能を紹介し、各省庁から一人ずつ参加させることで意図的に異なる視点の交差点(インターセクション)を作り出し、新しいアイデアを行政の文化や言語に翻訳しやすくしている制度化された協創の場であると説明します。これはMicrosoftのような大企業においても同じ力学が働くとグレンさんは補足します。
関さんは日本のデジタル庁にも民間の人材が多いという特徴はあるが、台湾のようにハッカソンなどからアイデアを取り入れる文化はまだ根付いていないと述べ、どちらかというと内部で考える傾向が強いと語ります。ただし、東京都のように都市レベルでの実験は進んでいる可能性に言及し、地方自治体や企業レベルでの活動が、オープン化されることで社会貢献に繋がる可能性を示唆します。
4. 個人レベルでのプルラリティとテクノロジーへの向き合い方
西尾さんは、技術進歩(特にAI)に対して恐怖を感じている人々の存在、特に高齢者が取り残されるのではという不安を抱いている現状に触れ、台湾ではどうやってこれを乗り越えているのかを尋ねます。
オードリーさんは、都市部よりも農村部や山間部のような、より技術が届きにくい場所にこそ先進技術を導入すべきだという考え方(例えばドローンによる医療物資配送や遠隔医療)を紹介します。これにより、物理的な距離や移動の困難さから disconnected な人々に、ICT技術が生と死を分けるような具体的な恩恵をもたらすことができると説明します。また、高齢化が進む地域では、高齢者が社会に貢献していると感じられるように、社会貢献の機会を提供することが重要であり、デジタルインフラがこれを支えることができると述べます。
関さんは、「無理にデジタルワールドに引っ張ってくる必要はない」「助ける人を助ける」というアプローチに共感し、地域での活動や誰かのために何かを提供すること自体が喜びになっている現実(例えば信号のところで手旗を持つおじさんの例)に触れます。人間的な喜びや「ケア」の部分を増やし、移動や手続きのような「ケアに繋がらない」活動を自動化・削減していくという考え方が重要だと語ります。高齢化が進む地域でのデジタル化は、人を助けることに直結するため、恩恵が理解されやすいと指摘し、これにより現役世代が将来、田舎で快適に暮らせる可能性にも繋がると述べます。
グレンさんは、高齢者を助けられる存在としてだけでなく、ボランティアとして社会貢献したいという意欲を持つ「ヘルパー」に変容する可能性に言及し、技術的な負担を減らし、彼らが貢献できる機会を提供することで、大きなボランティアの労働力を活用できると述べます。これは「ヘルパーを助ける」だけでなく、「助けられる人をヘルパーに変容させる」という改善サイクルに繋がると西尾さんはまとめます。
西尾さんは、技術に詳しくない人がプルラリティを実現するためにどのように動けるかを尋ねます。
グレンさんは、技術に詳しくない人でもリープフロッグできる事例(オークランドの Carpenter の Evan が Github に習熟した例)を紹介し、技術に疎外感を感じていた人が、新しい技術を学ぶことで最先端に参加しリーダーになれる機会があることを示唆します。
関さんは、オープンソースコミュニティでは、テクノロジーに詳しくなくてもイベント運営やコミュニティ運営など、様々な方法で貢献できると強調します。Code for Japanには「編み物部」のような技術と直接関係ない活動もあり、エンジニアばかりが集まると多様性が失われ、初心者にとってハードルが高くなると指摘します。スキルよりも、様々な貢献方法や「楽しい場」を作ることが重要だと語ります。
オードリーさんは、台湾のハッカソンでもエンジニアは多数派ではなく、ノーコードツールの普及により技術的なハードルが下がっていると述べます。今はプログラミング言語やAPIの知識よりも、明確なユースケースを描く想像力や、ユーザーのジャーニーを描くサービスデザイナー、そして市民の声に耳を傾けるリスニングスキルが重要になっていると語ります。
西尾さんは、技術的なハードルが下がっても、技術が強い人に権力が集中し、そうでない人が迫害される側だと感じる懸念に触れ、恐怖を感じる人にそうではないと伝える方法を尋ねます。
グレンさんは、文化そのものが重要であり、デジタル変革のプロセスに多様な人々を巻き込む必要があると述べます。技術要素も重要だが、最終的には人々が共感し、独自のやり方で再現できる「文化のレイヤー」が重要だと語り、日本の文化的な土壌が Code for Japan のスケールを容易にしたと分析します。
関さんは、技術への抵抗感や、理解できないものにパワーを奪われるという恐怖に対して、「リプレースしようとしているのではなく、あなたたちを助けるのだ」と伝えることが重要だと述べ、来てもらうのではなくこちらから働きかけ、一緒に活動し、実績を通じて信頼(trust)を構築していくことが解決策だと考えます。また、若い世代に様々な機会を提供し、ポジティブな未来を経験できる場を増やすこと、単なる消費者ではなく「作る側」に回れることを示す教育の重要性にも言及します。デジタル村民の例は、高齢者がデジタルな活動をする人々を「自分たちを助けてくれる人」だと認識することで信頼が生まれた良い例だと述べ、西尾さんも同意します。
5. プルラリティとは何か:基本概念の説明
アレックスさんは、記事の読者層(サイボウズ式の読者、プルラリティの概念を知らない人)に触れ、プルラリティの基本的な概念から説明してほしいと依頼します。
オードリーさんは、東アジア文化では異なる意見を持つ人との距離を置く傾向があると述べ、プルラリティは技術を用いることで、違いを鎮圧するのではなく、エネルギー源に変える方法だと説明します。プライバシー保護や匿名性、文脈の整合性などの技術によって、衝突を避けつつ創造的な可能性を高めることができると言います。これはトヨタ生産方式における、最下層の労働者も含めて誰もが欠陥を見つけて報告することを奨励する考え方と共通しており、この精神をデジタル領域にアップデートする必要があると指摘します。
オードリーさんは、「プルラリティ(Plurality)」という言葉を選んだ理由について説明します。**「Inclusive Diversity」や「Digital Democracy」**といった言葉は、既に特定の分野で色がついており、ジェンダーや人種、電子投票機といった限定的な意味合いで捉えられがちであるため、「プルラリティ」はこれらの言葉よりも広く、橋渡しとなる技術の主要な焦点を示すことができると考えたと語ります。pluralism(複数性)とsingularity(技術特異点)の響きを併せ持ち、複数性と技術が結びついた概念であると同時に、まだ明確に定義されていないため、柔軟に形作ることができる利点があると述べます。グレンさんは、デジタルを人間の組織化の地図として捉える「モノクロームの中のデジタル」や「ネットワークのネットワーク」という考え方にも繋がると補足します。
6. 社会構造とプルラリティの必要性
オードリーさんは、プルラリティはSFではなく、既に多くの場所(日本や台湾など)で実際に機能している優れた事例が存在することを強調します。
オードリーさんとグレンさんは、プルラリティは既存の社会機能の良い部分を保存(conserving)する意味で、ある種保守的であるとも言えると述べます。AGIや極端なリバタリアニズムが唱えるような、技術が人間の職を奪い、社会構造を破壊するという見方に抵抗し、「知ることは易いが、行うことは難しい」という一般的な考え方に対し、「正しいことは、知るよりも行う方が易しい」という孫文の言葉を引用し、問題は物事の組織化よりも、その概念化にあると語ります。世界の複雑さを受け入れ、自己や世界の複雑さに慣れることが重要だと述べます。
技術的な実装(本におけるPart 4)の重要性にも触れ、サイロ化や画一化を避けるための技術が企業によって開発される必要があると言います。Worldcoinの、虹彩スキャンによる画一的な本人確認アプローチは、意図は良くても simplistic であり、IDの機能はより複雑で、東洋的な建築(自然から学ぶ)のような、より慎重なアプローチが必要だと示唆します。これは、荘子の故事にある「無用の用」や、台湾のDID、日本の企業内アイデンティティなど、多様なあり方に通じる考え方であるとグレンさんは述べます。
技術に恐怖を感じる人がいるのは、シリコンバレーの誰かが自分たちの人生を決めるのではないかという懸念から来ているとし、プルラリティは、技術が文化に奉仕するという考え方であると説明します。オードリーさんは、哲学者ユー・ヒュイの「技術多様性(technodiversity)」や「コスモテクニクス(cosmotechnics)」のアイデア(文化に合わせて技術を再構成する)にも触れ、生物多様性と同様に、技術の多様性が均質性による絶滅のリスクを防ぐと述べます。H.I.(階層的知能)の危険性は、技術が支配することではなく、人間が技術に全てを委ねてしまい、自ら考えることや行動するのをやめてしまうことにあるという物語「機械は止まる (The Machine Stops)」を紹介し、注意を促します。
7. 会話の展望とまとめ
会話の終盤では、記事の公開先であるサイボウズ式の読者層について触れ、彼らがプルラリティの概念を通じて、自社の活動(キントーンを使った業務改善など)が「助ける人を助ける」ことに繋がることに気づき、プルラリティに関心を持つことを期待していると述べます。
全体を通して、公共、民間、個人の各レベルでプルラリティが必要とされる理由、その実現に向けた具体的な取り組みや課題、そして技術や文化との関係性について、日米台それぞれの視点から活発な議論が交わされました。特に、Code for Japanによる新たな資金調達の試みや、台湾のPDISの組織論、テクノロジーへの恐怖を克服するためのアプローチなどが具体的に語られています。