都市リベラルは地方差別意識について鈍感
アメリカの都市リベラルは、人種差別意識や性差別意識に対しては、敏感である。他方で、地方差別意識については、驚くほど鈍感である。我々の心に潜む差別心というものを認識するのは常に難しい証拠であろう。
文脈
shintoyo 鈴木一人先生とは国際政治上の立場は違うが、尊敬すべき学者であると認識している。しかし、「トランプが正気ではない」といった意見には強く反対したい。以下、その理由を述べる。
shintoyo 第一に、「資本主義 対 共産主義」という経済システム上設計上の対立が存在しない現代において、アメリカ合衆国が世界の平和維持のためにアメリカ合衆国国民の血税をつぎ込むべき理由は全く明らかではない。
shintoyo 例えば、フィリピンの島を守るために、なぜ海を隔てたアメリカが莫大なコストをかけねばならないのか。私がアメリカの納税者であれば、全く納得できないだろう。NATOについても、日米安全保障条約についても同じである。
shintoyo 結局のところ、ヨーロッパやフィリピンや尖閣諸島で小競り合いが起きようが、中国からもロシアからも遠く隔たり、莫大な核兵器を持つアメリカの安全保障が脅かされる可能性は限りなくゼロに近い。むしろ、アメリカがそれらの諸国の「主権」確保に興味を持つことの方が、正気ではないとも言えるくらいだ
shintoyo そのようなアメリカの立場の変化は、トランプ個人の政治的志向に由来するものではない。その証拠に、今度の選挙で独立候補として出馬するために活動を続けるケネディも、国際政治の安定という「公共財」提供に後ろ向きのようだ。
shintoyo 今回の大統領選挙の結果がどうあれ、アメリカはいわゆる「孤立主義」への傾斜を強めていくのは、ほとんど確実だと思われる。我々は、そうした未来に備える必要がある。正気/狂気という言葉は、冷静な判断を阻害するものでしかない。
shintoyo 第二に、トランプ支持者(MAGA派共和党員)を安易に批判するべきではない。トランプ支持者もまた、相当に合理的である。前回の大統領選挙の際に明らかになったことだが、トランプの選挙中の「放言」に対して、トランプ支持者は実際に割り引いて聞いているようである。
shintoyo 例えば、メキシコとの間に壁を作るという2016年大統領選挙キャンペーン中のトランプの発言を、トランプは任期中に守れなかった。しかし、MAGA支持者は、別にそのことを理由として、トランプを見限ることはなかった。
shintoyo つまり、トランプは「政治的な代表」として、その支持者に「信頼」されているのである。代表というものは、その任期中、広範な政治的行動の自由を持つ。選挙キャンペーン中の公約は、あくまで公約であり、それに違背することが許される。
shintoyo 何故かと言えば、政治は極度に複雑なので、選挙時点での公約に政治家が縛られてしまうと、政治的に逆効果だからである。いわゆる有権者と政治家の関係が、「命令委任」ではなく、「自由委任」となっている所以である。
shintoyo そして、有権者と代表の間に、ある種の信頼関係が成立している場合、有権者は代表の豹変や、言行不一致を許容する。つまり、トランプが選挙に勝つか否かにかかわりなく、トランプはすでにアメリカ国民の多くの「代表」になっていると、好き嫌いに関わらず、言わざるを得ないのである。
shintoyo 第三に、とすれば、アメリカに安全保障を依存している以上、日本側はトランプもトランプ支持者についても、安易に悪口を言うことは控えねばならない。そのような悪口は、日本の国益を損ないかねない危険な振舞いである。
shintoyo 第四に、トランプ支持者(ひいては多くの共和党支持者)に対する悪口そのものが、アメリカにとって致命的なものになりうる分断を促進している重要な要因となっている。
shintoyo 例えば、ホックシールド『壁の向こうの住人たち』は、ルイジアナ共和党婦人会に参加していたあるゴスペル歌手の認識をこう報告している。曰く、「リベラル派はこう思っているのよ。聖書を信じている南部人は無知で時代遅れで、教養のない貧しい白人ばかりだ。みんな負け犬だって。わたしたちのことを、
shintoyo 人種や性や性的志向で人を差別するような人間だと思ってるのよ。それからたぶん、でぶばかりだってね」『ホックシールド』(p. 35)。都市部リベラルによる、田舎の共和党員に対する蔑視こそが、民主党支持者と共和党支持者の分断を悪化させている。
shintoyo アメリカの都市リベラルは、人種差別意識や性差別意識に対しては、敏感である。他方で、地方差別意識については、驚くほど鈍感である。我々の心に潜む差別心というものを認識するのは常に難しい証拠であろう。
shintoyo 第五に、確かにアメリカの共和党員の多くが(我々から見て)無知で、明らかに事実に一致しない荒唐無稽なことを信じており、専門知識を尊重せず、陰謀論を信じやすいことは確かだろう。だが、その無知が、彼らの「責任」に帰せられるべきだとは、私は思わない。
shintoyo アメリカの公共育制度は、基本的にそのコミュニティ・レベルでの資金に支えられており、連邦レベルでの補助は多くない。この場合、貧しい地域の小中等教育の質は低下し、豊かな地域の質は向上する。とすれば貧しい地域と豊かな地域で知識(や倫理)についてのギャップが致命的なまで拡大するのは当然だ
shintoyo さらに絶望的なことに、たとえ賃金は高くなくとも、教師はすくなくとも健康保険には加入できる(ようだ)。だが、アメリカの田舎の貧しい人びとは、ロクな健康保険に加入できない。その結果、ウィスコンシン州の共和党支持者を聴き取り調査から、教師に反感が持たれていることを明らかになっている
shintoyo (Cramer 2016, The Politics of Resentment, p.161)。公教育に従事する教師に対する反感は、恐ろしい結果をもたらす。というのも、ラザールフェルドの古典的な「コミュニケーションの二段階の流れ」が明らかにしたように、一般人は複雑な事柄に関する情報を、各コミュニティのリーダー的位置にある人
shintoyo から入手すると考えられるからである。例えば、日本であれば、いわゆる「亜インテリ」としては、寺の坊主、村の駐在、村役人に並んで、小学校の先生が、コミュニティ・リーダーとして、普通の人びとを媒介していた。公教育に携わる先生が反発されている状況は、アメリカの田舎の人びとの知識水準を
shintoyo 大きく制約しているだろう。その代わりに、アメリカの田舎の人びとは、組織化の程度が弱い聖書中心主義的なキリスト教会や、自由競争の名の下にほとんど監督されないケーブルTVやラジオに依拠せざるを得なくなっている。
shintoyo さらに地方新聞も極度に弱体し、そこに来てSNSの時代が到来したのである。本屋もない。大学の授業料は懲罰的なまでに高い。各地の公立図書館はほとんど最後の砦として頑張っているというが、その図書館の蔵書にまで党派対立の火の手が迫っている。
shintoyo 私がアメリカの田舎の貧しい地域出身者であれば、叫びたくもなるだろう。「どうしろと言うのだ!何が『専門知は、もういらないのか:無知礼賛と民主主義』(トム・ニコルズ)だ。貧しく生まれれば、専門知識にアクセスするなど絶対にできないではないか!ふざけたことを言うな!死ね!」
shintoyo もちろん、人が死んでも問題は解決しない。落ち着かねばならない。ではどうすべきか。アメリカの政治哲学者・ブレナンは、「エピストクラシー」(智者による政治)の名の下、『アゲインスト・デモクラシー』において、有権者資格を審査するにあたり筆記試験を課すというやり方を提案している。
shintoyo この議論は、別に新しくない。代表制(選挙制)の黎明期から、無知な有権者に選挙権を与えるのは危険だと主張する人は広範な支持を集めてきた。この議論を突破し、制限選挙から普通選挙を実現するために長い時間を要したことは、周知の事実である。
shintoyo ブレナンの提言に対して私から言えることは、政治知識や政治能力を「試験」することは不可能だということである。ここで詳細を述べることはできないが、例えばその筆記試験を誰が作成し、採点するのか、その試験が妥当であることをどうやって保証するかを少し考えてみれば、その問題点は明らかだろう。
shintoyo だからこそ、有史以来、政治家を筆記試験で選ぶ制度が成立したためしはないのだろう。あるいは簡単な識字能力を試験することはできるが、現代のアメリカにおいても文盲者はほとんどいないだろうから、実際的に有権者の能力試験として機能するとは思われない。
shintoyo さらに言えば、識字能力すら、政治的な能力や知識のプロクシになるとは立証されていない。従って、ブレナンの提案は却下される。
shintoyo ではどうすべきか。先に述べたアメリカの問題は、①公教育の弱体と②健康保険へのアクセスの著しい不平等であろう。②については広く認識されていて、オバマはほとんど英雄的な努力を健康保険制度の整備に捧げた。しかし、党派対立に邪魔されて、十分な成果を挙げることはできなかったようである。
shintoyo ①の公教育の整備についても、連邦政府は長年、努力してきたようである。しかし、極度に分権的なアメリカ合衆国憲法の性質から、うまくいっていない。連邦レベルからのカリキュラムの統一や資金の拠出が不可能になっているからである。
shintoyo とすると、問題は憲法改正マターであるということになる。連邦政府の権限を大幅に強化し、州権を制約するのが一つのありうる解決策となる。実現可能か。不可能であろう。州権主義はアメリカの基軸であるし、権限の委譲を州レベルの政治家が是認するという事態は、およそありそうにもない。
shintoyo 憲法改正が不可能であるとすれば、次善の策は民主・共和両党の政党組織を寡頭制に変える政党改革である。もし政党が寡頭制になれば、連邦レベルの政治家は、州レベルの政治家に対する政党規律を通じて、実質的に連邦政府の権限を強化できる。