講演プロジェクトについて具体的に何をするか言語化されると良い
nisbot.iconあなたはこの会話で何が起きて欲しいですか?
nishio.icon講演プロジェクトについて具体的に何をするか言語化されると良い
nisbot.iconその「講演プロジェクト」は、どんな「講演プロジェクト」ですか?
nishio.icon母校で中高生を相手に話をする。何を話すかを決めて講演資料を作って当日話して、質問に答える。
nisbot.iconその「する」は、どんな「する」ですか?
nishio.icon話をするというのは具体的にいうと…講演という形でなにか聴衆の今後の人生に役に立つような知識を伝えることで、僕が講演の準備のために失う人生の時間の価値よりも聴衆の得る価値の総和が大きくなればより良い方向に世界が変わる
nisbot.iconその「話をする」は、どんな「話をする」ですか?
nishio.icon人生に役に立つ知識を伝えることで、それは具体的には何かというと…なんだろうな。何を伝えることが良いのか、それがわからないから話すテーマが決まらないのか
nisbot.iconその「役」は、どんな「役」ですか?
nishio.icon人生を本人にとって好ましい方向に変える効果があるということ。
nisbot.iconその「人生」は、どんな「人生」ですか?
nishio.icon聴衆は基本的に中学受験の段階では上位一握りにいた人たちな訳だが、その人たちがこの後同じ行動原理で過ごしてて大丈夫かどうか、ということだな。例えば東大のブランド価値はまだしばらくは残るだろうけど、若年人口がどんどん減っているのだから有能さのシグナルとしての効果はどんどん下がって行ってて、いま15歳の人が10年くらいして就職するときにどの程度の効果があるのかは未知数なわけだ。
nisbot.iconあなたが価値を感じているのは何ですか?
nishio.icon僕が伝える情報によって、聴衆が自分の今後の人生について考えるきっかけになり、かつ今持ってる視点や彼らの親の視点と少し違った視点を提供することで多角的に考えてより良い選択をつかみ取れるようにすることだな
nisbot.iconその「人生」について、他に何かありますか?
nishio.icon僕の視点にバイアスがあることを認めた上で、やはり「プログラミングができないとかありえない」となる。なぜそうであるかはタユピンコ人のたとえに帰着する。で、そもそも論理的思考能力は平均以上に高い人たちであるはずなので技術としてのプログラミングの習得はその気になれば難しくない。難点があるとするなら「何を作るか」のところ。これは技術ではなく正解もなく、アート的な自己確信の能力だからだ。
nisbot.icon
僕が伝える情報によって、聴衆が自分の今後の人生について考えるきっかけになり、かつ今持ってる視点や彼らの親の視点と少し違った視点を提供することで多角的に考えてより良い選択をつかみ取れるようにすることだな
この「人生」は、どこにありますか?
nishio.icon一人一人の目の前に、複数の道の形である。一人一人置かれた状況や選べる選択肢は異なっているので「この道が正解」なんてものは伝えられない。だから一人一人がより良い選択をできるようになるための知恵を伝える必要がある
nisbot.icon
僕が伝える情報によって、聴衆が自分の今後の人生について考えるきっかけになり、かつ今持ってる視点や彼らの親の視点と少し違った視点を提供することで多角的に考えてより良い選択をつかみ取れるようにすることだな
あなたはこの「人生」をどう知るのですか?
nishio.iconうーん、知らないんだよな、それぞれのタイミングでなんとなく選択した結果として今の僕がある。
nisbot.icon
僕が伝える情報によって、聴衆が自分の今後の人生について考えるきっかけになり、かつ今持ってる視点や彼らの親の視点と少し違った視点を提供することで多角的に考えてより良い選択をつかみ取れるようにすることだな
この「人生」は、どのあたりにありますか?
nishio.iconもやもやとあいまいな形でしか存在しない、道があるっていったのは間違いだった。ほとんどの場合はもやにかすんだ、微かに道のようなものがあるだけ。だからかろうじて目の前にあるものをたどっていくわけだ
nisbot.icon
僕が伝える情報によって、聴衆が自分の今後の人生について考えるきっかけになり、かつ今持ってる視点や彼らの親の視点と少し違った視点を提供することで多角的に考えてより良い選択をつかみ取れるようにすることだな
この「聴衆」は、どんな「聴衆」ですか?
nishio.iconそういうもやの中を手探りで進んでいく人たちで、一方で親の価値観や集団思考によってある選択肢を過剰に信じ込んでしまう、こっちに道があるはずだ、この道を行けば桃源郷にたどりつくはずだ、と考えてしまう
nisbot.icon
僕が伝える情報によって、聴衆が自分の今後の人生について考えるきっかけになり、かつ今持ってる視点や彼らの親の視点と少し違った視点を提供することで多角的に考えてより良い選択をつかみ取れるようにすることだな
この「人生」は、何のようですか?
nishio.icon危険な山道だと思う。崖から落ちれば怪我をする。30年前と同じところに道がある保証はない。
nisbot.icon
僕が伝える情報によって、聴衆が自分の今後の人生について考えるきっかけになり、かつ今持ってる視点や彼らの親の視点と少し違った視点を提供することで多角的に考えてより良い選択をつかみ取れるようにすることだな
この「人生」に関して、何が起こるとよいですか?
nishio.icon主体的に自分の判断で道を選べるようになるといい
nisbot.iconそれには「人生」に何が起こる必要がありますか?
nishio.iconうーん、自分で判断することに対する自信が必要かな…
nisbot.icon「人生」に関して、それができますか?
nishio.icon結構難しいかもなぁ、結局のところ僕は振り返って過去を見ているから過去の選択を正しかったと考えるバイアスが乗って、自分は正しい選択をしたという自信が溢れるわけだが、じゃあ未来についても自信があるかというと過去ほどではないわけなので、自信があるのは認知の歪みかもしれない
nisbot.icon
僕が伝える情報によって、聴衆が自分の今後の人生について考えるきっかけになり、かつ今持ってる視点や彼らの親の視点と少し違った視点を提供することで多角的に考えてより良い選択をつかみ取れるようにすることだな
この「人生」は、どこから来るのですか?
nishio.icon個々人の選択によって生み出される
nisbot.icon
僕が伝える情報によって、聴衆が自分の今後の人生について考えるきっかけになり、かつ今持ってる視点や彼らの親の視点と少し違った視点を提供することで多角的に考えてより良い選択をつかみ取れるようにすることだな
この「聴衆」について、他に何かありますか?