記号の恣意性は人間が脳の外に持つ可塑性
tanichu 記号の恣意性は人間が脳の外に持つ可塑性なのです。システム3はこの変数を使って表現学習をすることで、人間集団を社会的に知的たらしめているのです。これが集合的予測符号化です。 この視点から見ると人間はアロポイエティックな存在に見えますが、人間の視点からみるとあくまで主体は人間であり、その変数のベイズ推論に分散的な形で参画しているにすぎません。
このような視点の取り方はネオ・サイバネティクス(や基礎情報学)と通底するものです。ただこの参画自体はかなり進化的に埋め込まれて獲得されたものだと僕は思っていて、人間が記号/言語に「意味を読み取ってしまう」生き物である――ホモシグニフィカンスであることは、この部分に現れるのだと思っています。
またこの差異こそが人間の文明の基底にある動物との本質的差異であり、林さんがツイートされていたCollective Regularization 項に対応するのです。
これは通常の動物の自由エネルギー原理では現れないものです。
この推論を分散化することのできる実現方法の一つがメトロポリスヘイスティングス名づけゲームですが、それは一事例にすぎず、私たちの行う言語ゲームや社会的相互作用は様々な形でこの分散型ベイズ推論を実現しているのだと思います。 人間と動物の差異は現実世界の経験に基づく記号を形成しながらも、それを離れた記号の自由度を有し、虚構を生み出し共有しつつ、そしてまたその虚構に基づき集団行動を高度化していくことにあります。「想像の共同体」ではありませんが。
「記号創発システム論」は集合的予測符号化を介してさまざまな議論との接点が明確に増しているように思います。
来週には林さん始め面白いメンバーと書いている原稿を共有できると思いますが、この学理を領域横断どんとこいで体系化していきたいと思います。
雑文ポエムですが、なんとなくベッドの上でつらつらと。
数年後には教科書シリーズを作ろう……
(出版社さん、よろしく)
とりあえず9月1日に『記号創発システム論』が出ますのでよろしく。
>hayashiyus 集合的予測符号化(Collective Predictive Coding: CPC)仮説についての1枚メモ https://pbs.twimg.com/media/GVoLJmSbgAAmBTH?format=jpg&name=medium#.png
社会はそれを構成するエージェントのように身体を持たないため本質的に不安定である,という帰結が,社会と自由エネルギー原理に従うエージェント集団の関係から自然に立ち現れる.