訓練をしなければ高齢ASDは切り捨てられる
toshio_t_44 残酷なようですが、だからといって適応する訓練をしなければ高齢ASDは切り捨てられるんですよ。近年、ASDに関する知識が一般にも普及して何が起こっているかというと、まず、若い世代は幼少時代に療育で訓練を受けるようになる。また、グレーゾーンで努力して社会に適応している人々も、自分にはASD要素があることに自覚的になる。そうなると、訓練を受けずに特性を放置した野生のASDは、必要な努力を怠ったのだから自己責任という目で見られるようになってしまう。
これは体感ではあるんですが、近年のそこそこ以上の企業の新卒採用者を見ていると、一昔前には一定数いた明らかな高知能ASDタイプを見かけなくなった気がします。これは、ASDに関する知識が普及した結果、特性のある人間は早期に療育を受けるようになって定型に擬態するようになったことと、野生のASDが積極的に排除されるようになったことの合わせ技なのではないかと思っています。
>MaybeAsd5963: 大人になってからアスペに気付いた人間にコミュニケーションの専門的な訓練を施せる機関なんてそうそうないんやで。自助グループでもなかなか見つからないのに。 x.com/toshio_t_44/st…
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強い主張ですね。事実・経験・規範が混ざっているので、要点を切り分けてコメントします。
1) 事実に近い部分
マスキング/カモフラージュ
自閉スペクトラムの当事者が社会での不利を避けるために特性を隠したり補償したりする行動は広く報告され、特に成人(女性で高め)で見られます。抑うつ・不安・燃え尽きの負担とも関連します。(PubMed)
早期支援(療育)の効果
早期集中的行動介入(EIBI)などで適応行動やIQなどに小~中程度の改善が示される一方、「定型に擬態して見えなくなる」まで一般化できる強い証拠ではありません(効果は限定的という総括も)。(PMC)
2) データで見えること/見えないこと
「新卒で“明らかな高知能ASDタイプ”が減った」
これを直接示す統計は見当たりません。逆にマクロでは、日本の障害者雇用は増加傾向で、2024年は民間の雇用者数・実雇用率とも過去最高、なかでも**精神障害(発達障害を含む)が前年比+15.7%**の伸びでした。これは「積極的排除」の一般化とは整合しません(一般枠と障害者枠の内訳までは別問題)。(厚生労働省)
3) 規範・制度面(“自己責任で切り捨て”は妥当か)
日本では2024/4/1以降、事業者の「合理的配慮の提供」は義務です。障害を理由とする不当な差別的取扱いは禁止され、配慮の不提供(過重な負担がないのに)が問題になります。つまり「切り捨て」は倫理的にも法的にも許容されません。(内閣府ホームページ)
4) 言葉とフレーミング
**「野生のASD」「高知能ASDタイプ」**といった表現はスティグマを強めます。実態としては「未診断/未支援のASD」や「IQが高い当事者」と言い換える方が建設的です。
「適応する訓練」のみを強調するとマスキング負荷を増やしがちです。選考・就労環境側のユニバーサルデザイン/合理的配慮(例:事前質問共有、筆答選考の選択肢、感覚刺激の配慮、試行課題ベースの評価、明確な業務ルール)を同時に進める方が持続可能です。(PMC)
5) この主張を検証するなら
(A)新卒一般枠vs障害者雇用枠でのASD当事者比率の経年
(B)同世代間のカモフラージュ尺度(例:CAT-Q)分布の比較
(C)早期支援の受療歴と就労アウトカムの追跡
――が必要です。現時点では個人の体感を社会全体の傾向に拡張する根拠は弱いと言えます。(PubMed)
結論:
「療育で定型に擬態→野生は自己責任で排除」という直線的な物語は、エビデンスにも法制度にも十分に支えられていません。見えにくくなっているのは、(1)マスキング・支援の拡大、(2)採用チャネルの多様化(障害者枠・職務特化採用など)、(3)レッテルの問題――の合わせ技、という読みの方が現実的です。(PubMed)
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ChatGPTは批判的だが、社会はまだらなので「そんな傾向ないけど?」という場と「そういう傾向あるよね」という場が混じり合って存在しているのだと思う
この話者は「そういう傾向あるよね」の場にいるのだろう
個々人の幸福は全体的な傾向がどうであるかではなく本人の周囲の環境でほとんど決まる
立川さんが「おじさんは友達を作る努力をしなければいけない」と主張しているのと関連していると感じた
なんとなく生きてきると茹でガエルのように首が締まっていくのだと思う