言語化能力がコンテンツを産み、コンテンツがニーズを満たしている
この投稿自体がすごい言語化能力
それ自体が実例
「言語化能力がコンテンツを産み、コンテンツがニーズを満たしている」の事例
Q: けんすうってひと何がすごいの?金産むビジネス作ったことなくても、会社売ったらすごいってなるの?
A: これ「けんすうさんは結果で評価されている人であるはず」という認識で分析しようとすると、訳分からなくなるんです。
そもそも、結果がすごいから注目を浴びている、みたいな性質ではないんですね。どちらかというと
- 何かの行動をしたときに
- その行動の結果が評価対象なのではなくて
- 「その行動をした理由などを言語で説明する」ということがコンテンツになっており、コンテンツ自体がニーズを満たしている
という感じなんです。
言語化能力がコンテンツを産み、コンテンツがニーズを満たしている
人物に評価が集まっているわけでも、注目されているわけでもなくて、どちらかというと「コンテンツが読まれており、なぜコンテンツが読まれるかというと、行動をした理由が、ちょっと他の人とは違う形で解説しているから」とかですね。
昔から評論家とかがやっている解説を、自分で行動をして、自分で解説をしている、というところが、他にあまりないので、ニッチなニーズを満たしています。評論家の場合、解説はあくまで結果論であり、その後の行動に影響を及ぼさないものですが、自分で行動し、自分で解説をして、また行動に移すとなると、その解説が次の行動に影響を及ぼすので、そこに興味が出てくる、という構造なんだと思います。
こうすると、結果が出ても出なくてもあまり価値は変わりません。「これをこう考えて、こうやってみたけど、失敗しました」みたいなのもコンテンツになるからです。
まとめると、
「結果が出ているから、すごい人だと認知されてるんだろう、と思って調べても、全然結果がでていないからよくわからない」
となるのは当然で
- 結果で評価されていない
- すごい人だとは認知されていない
んです。
- 行動を解説しているコンテンツに興味ある人が見ている
という感じで、みんなが閲覧しているのは、人じゃなくて、コンテンツなんです。
ここを見誤ると、解釈が難しくなるので、この前提にたってみるとわかりやすいかなーと思いました!