言葉に殴られる
ある種の言葉を他人が発することを「殴られる」と表現する人がいる
その2つが似たものであるとその人が認知しているということ
物理的な「殴られ」(A)は解釈の余地なく殴られている。
しかし言葉の殴られ(B)は、受け手の解釈である。
「言葉で殴られた」と感じている人(B1)はみずからの認知によって苦痛を被っている。
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どうしてこのような認知が発生するのだろうか
会話を争いのメタファーで捉えている?
猿のマウンティングのように集団の中の序列を決めるための行為だと考えている?
子供の時に、悪い言葉を言わないための教育の一環で「言葉の暴力」などのような言葉と殴られを関連づける認識が刷り込まれる?
「言葉が他人を傷つけうる、だから配慮を持って使おう」と話し手が考えるのは有益だと思う
受け手側が「言葉によって傷つくのが当たり前」と認識するとその人の人生の幸福度を下げる
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