言及を善意と悪意に分けるのは誤った二分法
「議論をすることは相手のためである」
と考える人と
「議論をすることは相手への攻撃である」
と考える人。
2者が交わると地獄。(雑な二分論)
nishio: このどちらも「相手」という人間の利害を気にしているという点では同一で、それに対する別の考え方として「世の中に公開された意見に改善の余地があるなら世の中のために改善案が公開されるべきである」的なものがあり、これタイプの人は意見を公開した人の利害をどうでもいいものと思ってる これ例えばオープンソースやそのコミュニティ活動などの文化に一定の理解がないと理解されない気がするのと、こういう勘違いしている(どちらの利害や攻撃と判断しようとする人)人のほうが圧倒的に多いのと、基本的にそういう人たちにはわかってもらえないことがとても多いと思っている
nishio: 誤った技術記事が書かれているのを見た場合に、それが誤ってると指摘する際、それは「書いた人を攻撃するため」でも「書いた人に知識を与えるため」でもなく、「誤った情報は訂正されるのが世界のために良いことである」という考えの人がいる。割とたくさんいると思う。 koizuka: うんうん、私も「読んだ人が足を取られる問題があるならそれを解消したい」と行動はするけど、書いた人に対しては別に攻撃とかはないなぁ。人は間違えるものだしな。 drken1215: これ分かってても、誤りを指摘されるとき、まず反射的に相手の善意・悪意を見ようとしちゃうんだよね......。大抵はその直後に、相手に善意も悪意もないことがわかるのだけど......。 keno_ss: 登山道の整備…というよりは道路の整備ですかね。車や自転車で気持ちよく走れるように小石を見つけたら脇に寄せとく的な。 nishio: 言及することを「人間に対するコミュニケーションである」と思い込んでる人は、このタイプの言及を「攻撃なのか?善意なのか?」と分類しようとするがこれは誤った二分法である。 tomoyaman: あー、確かにこれは「他者から観測されない場所」を前提とした話になってますね。 nishio: なるほど、僕は公開の場所をイメージしてたので、逆に「そういう言及をした後でDMが送られてきても、別にその人自体には関心がないのでやりとりをするとは限らないな」とか考えてました tomoyaman: 公開の場所である場合のスタンスはほぼ西尾さんと同じですが、それでも文脈依存はあると思っていて、例えば同じ内容のレスを他人からもらっても反応に困る気がします。あくまで「西尾さんだから」僕は反応できるのであって、少なくとも僕にとっては相手(文脈)は無視できない要因ですね。