觀作作者品
claude.iconこの文章は『中論』の第8章「観作作者品」の一部で、龍樹の著作を青目が注釈し、鳩摩羅什が漢訳したものです。主な内容を要約すると:
作者(行為者)と作業(行為)の関係性を分析し、両者の独立した実在性を否定しています。 --- 行為と行為者の不可分性 決定(固定的)な作者と作業の存在を否定し、不決定(非固定的)な作者と作業も同様に否定しています。
作者と作業が相互依存的であることを説明し、それらが独立して存在することはできないと論じています。
無因論(原因なしに物事が生じるという考え)を批判し、それが導く論理的矛盾を指摘しています。
罪福や因果、涅槃などの概念も、作者と作業の実在性が否定されることで影響を受けることを述べています。
「因業有作者、因作者有業」(業によって作者があり、作者によって業がある)という相互依存的な関係を説明しています。
この分析方法は、受と受者(経験とその主体)にも適用でき、さらにはすべての現象にも適用できると述べています。
最終的に、第一義諦(究極の真理)においては、作者も作業も実在しないことを主張しています。
この章は、中観思想の核心である空の概念を、行為と行為者の関係性を通じて論じており、現象の相互依存性と非実体性を強調しています。
因業有作者 因作者有業
成業義如是 更無有餘事
業があるから作者があり、作者があるから業がある。
業の意味はこのように成り立ち、他に何もない。
業にはもともと決まったものはありません。人によって業が起こり、業によって作者があります。作者もまた決まったものではありません。作業があるから作者と呼ばれるのです。この二つのことが和合するので、作と作者が成り立ちます。もし和合から生じるなら自性はありません。自性がないので空です。空であれば何も生じません。ただ凡夫の思い込みと分別によって、作業があり作者があると言うのです。究極の真理においては、作業も作者もありません。
如破作作者 受受者亦爾
及一切諸法 亦應如是破
作と作者を破るように、受と受者もまた同じです。
そして一切の諸法も、同様に破るべきです。
作と作者が離れられないように、離れられないがゆえに決定せず、決定しないがゆえに自性がありません。受と受者も同様です。受とは五蘊の身のことで、受者は人のことです。このように、人を離れては五蘊はなく、五蘊を離れては人はありません。ただ多くの縁から生じるのみで、受と受者のようです。他のすべての法も、同様に破るべきです。