般若心経
妻がお経というものを全く知らなくてひとつくらい知りたいというので昔書いたスライドを使って解説してみた
観自在菩薩
かんじざいぼさつ
日本だと観音菩薩って呼び名の方が有名
菩薩(菩提薩埵、ぼだいさった)とは、悟りを求めて修行中の人のこと。
サンスクリット語の発音に漢字を当てたもの(外来語)なので字面に深い意味はない。
行 深 般若波羅蜜多 時
深い修行を行っていたとき
般若(はんにゃ)は「知恵」、波羅蜜多(はらみた)は「悟り」や「悟りを求めて行う修行」の意味。
どっちも外来語。
照見 五蘊皆空
「全部『空』(くう)だ!」とひらめいた
五蘊(ごうん)は「すべてのもの」的な意味
色・受・想・行・識の5つ
度一切苦厄
すべての苦厄がなくなった
全部空だって気付いたから苦しみがなくなった
舎利子
人名サーリプッタ、弟子のひとり。「サーリプッタよ、~~なんだよ」と語りかける使い方なので深い意味はない
色不異空、空不異色、色即是空、空即是色
「色=空」
と4通りの表現で言ってるだけ
有名なフレーズ「色即是空」がここで出てくる
受・想・行・識 亦復 如是
「受・想・行・識」もおんなじ(つまり空である)
色と受・想・行・識を合わせたものが五蘊なので、要するに「五蘊皆空」をかみ砕いて説明しているだけ
舎利子
サーリプッタよ
是 諸法 空相
もろもろの法も空なんだよ、つまり…
不生不滅、不垢不浄、不増不減
生まれず、減らず、汚くなく、清くなく、増えず、減らず
是故空中 無 色、 無 受想行識
これゆえ、空の中には何もない
五蘊(色・受・想・行・識)がまた出ている
無 眼・耳・鼻・舌・身・意
無 色・声・香・味・触・法
物事を感じるセンサーもないから、それによって感じられる対象も存在しない
無 眼界、乃至、無 意識界
眼で感じられる世界もないし、意識で感じられる世界もない
無 無明、亦 無 無明 尽
知恵の光にてされていない状態を「無明」と言うが、その「無明」自体が存在しない。存在しないのだからそれがなくなる(尽)こともない
乃至、無 老死、亦 無 老死 尽
また、老や死も存在しない。そして、存在しないのだからそれがなくなることもない。
無 苦・集・滅・道
苦・集・滅・道は悟りに到る方法(四諦)の4要素。これを実践しようとして修業してきたわけだが、これも無いんじゃないか、というちゃぶ台返し。
無 智、亦 無 得
智慧もないし、それ得るということもない(それを求めて修行してたわけなので強烈なちゃぶ台返し)
以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離 一切 顛倒夢想 究竟涅槃
智慧を得ることもないがゆえに、菩薩は心にこだわりがなくなり、なくなったので、恐怖もなくなり、すべてのおかしな考えから離れることができて、涅槃の境地に到達した
要するに「悟らねばならない、知恵を得なければいけない」というプレッシャーがなくなったことによって「悟れなかったらどうしよう」というたぐいの恐怖からも解き放たれ、心が平穏になりました、めでたしめでたし、ということ。
「依 般若波羅蜜多 故」の部分は訳してないけど、ようするに「この悟りによって」ということ。
三世諸仏、依 般若波羅蜜多 故、得 阿耨多羅三藐三菩提
この悟りによって、すべての仏は無上の悟りに到達する
三世諸仏とは、過去・現在・未来のすべての仏のこと
阿耨多羅三藐三菩提 は外来語で、最上級の悟り、という意味
故 知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚
ゆえに知る、この悟り(智慧)は、無上の呪文(マントラ)である。すべての苦しみを取り除く真実である。
この直後に般若波羅蜜多呪という呪文の言葉が紹介される。
この辺から「これ本当に悟った本人が書いてます??」という感じが出てくるね。
「念仏を唱えるだけで極楽に行けます」的な。
故説、般若波羅蜜多呪。即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経
その呪文とは「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶」(ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてーはらそうぎゃーてーぼーじーそわか)である。