自分の人生に対する有用性
nishio.iconプラグマティズムは自分の人生に対する有用性によって真偽が決まる、という立場は歴史的には誰が主張したもの?
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最も直接的に「有用性=真理」を打ち出したのはウィリアム・ジェイムズ。1907年『プラグマティズム』講義VIで「『真なるもの』とは、要するに私たちの思考の進み方において《有用(expedient)》なものだ」と述べ、この“cash-value(現金価値)”という実際的効用に即して真理を説明しました。 (Brock University)
nishio.icon cash-valueの話もしているけど"私たちの思考の進み方において有用"だと思惟経済説を連想するなぁ
F.C.S.シラー(英国のプラグマティスト/ヒューマニズム派)も「働く(works)ものが真」という定式化で同趣旨を展開。ジェイムズ自身が講義VIでそう紹介しており、シラーの主著『Studies in Humanism』(1907)でも同線上の議論が展開されています。 (Brock University)
(対照として史実だけ添えると)
C.S.パース(パース)は真理を「探究の究極で共同体が到達する意見」に結び、個人の短期的有用性とは区別しました。 (スタンフォード哲学百科事典)
ジョン・デューイは「真理」概念を「保証された主張可能性(warranted assertibility)」として道具主義的に言い換えました。 (スタンフォード哲学百科事典)
要するに、「自分の人生への有用性」を強く前面に出して真理を語った歴史的代表はジェイムズ(と並んでシラー)です。
nishio.iconジェイムズとパースとデューイは全然違うことを言ってるように思えるがどう関連しているの?
GPT5.icon三者の「つながり」と「役割分担」
共通核(プラグマティック・マキシム)
「ある概念の意味は、その概念がもたらす実際的な帰結に尽きる」という発想。
これはパースが19世紀末に定式化し、ジェイムズが一般向けに普及、デューイが科学的探究と社会実践の方法論として発展させました。
役割分担(どこに力点を置くか)
パース:意味規準と探究の論理
真理=「無限に続く探究の極限で共同体が収束する意見」。個人の便宜ではなく、長期・公共的合意に重心。のちに“pragmaticism”と呼び直してジェイムズ流と距離を置く。
熟議や社会的意思決定との関連がありそうnishio.icon
ジェイムズ:真理の実利説(cash value)
真理=「経験を前に実際に役立つ(行為をうまく導く)こと」。個人の具体的生活・選好に近い地平で語るのが特徴。パースの着想を大衆化しつつ、真理論をより可塑的に提示。
デューイ:道具主義/探究の方法
真理という語を実質的に「保証された主張可能性」へ言い換え。学校教育・民主主義・技術と結ぶ実験主義として、集団的問題解決のプロセスにプラグマティズムを埋め込む。
どう「関連」しているか(要点)
1. 起点はパース(意味=実際的結果)。
2. ジェイムズが普及(意味規準を真理論へ拡張し、個人の有用性を強調)。
3. デューイが制度化(科学・教育・民主主義の探究手続として再構成、個人より公共の問題解決に重心)。
似て非なる点(最短比較)
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観点 パース ジェイムズ デューイ
主眼 概念の意味規準・探究の論理 真理の実利説 探究の方法・社会実装
真理 共同体の長期的収束 働く・役立つ(文脈依存・個人寄り) 保証された主張可能性(手続依存・公共寄り)
トーン 反心理主義・実在論寄り 多元主義・経験主義 実験主義・道具主義
要するに、三者は**同じ核(結果に基づく意味づけ)**を共有しつつ、
パースは意味と長期探究、
ジェイムズは個人経験に即した真理、
デューイは公共的問題解決のプロセス
へと、それぞれ焦点をズラして展開した、という関係です。