自分の一部がみんなのものになるとき残りの自分は何か?
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現状「自分」というものに対する認知の解像度が低く、ぼんやりと全体として捉えてるから、なんとなく脅かされているように感じるのだろう 「自分」の概念を明確にしていくことが必要
最初に書いたタイトル「漠然と自分だと思ってたものの一部がAIに食われるとき残りは何か?」
この「AIに食われる」は、表現したいものと異なった意味に解釈されうるな、と思った が、まあ、まだ自分でも漠然としているのでより良い表現がわからない
すこし噛み砕いた表現
AIによるコモディティ化で誰にでもできることになり「自分のもの」ではなくなっていく
長いので削った: 自分の一部がAIに食われるとき残りは何か?
「自分の一部がみんなのものになる」かな
→自分の一部がみんなのものになるとき残りの自分は何か?
描画AIの例
元々「自分は絵が描けない」と思ってた人にとって「絵を描く」は「自分だと思っていたものの一部」ではないのでAIによるコモディティ化は「力を得る」こと
元々「絵が描ける」(だけに留まらず、おそらく「絵を描ける自分」が「自分」を構成していた)人にとっては、「自分だと思っていたものの一部」がAIによってコモディティ化するのは「自分の一部がみんなのものになる」こと