自分のために動いてくれる他者
Computational Thinkingは君主論
の
自分のために働いてくれる他者
という表現によって引き出された意見
この文脈だと、僕はおそらく「働いて」ではなく「動いて」をチョイスすると思った。
「自分のために働いてくれる他者」というのは含蓄があるなーと思った。もとは奴隷と表現してあった。
Measure what matters
(OKRの本)とか
ティール組織
を読むと、言ったことをやってもらう従業員像(奴隷)から、自発的になんらかの目標を達成していく従業員像(自分のために働いてくれる他者)への変化が述べられていたような気はする。
https://www.facebook.com/harajune/posts/10157229529443217
なぜ働くではなく動くにしたのか考えてみたのだが
人を動かす
が影響してるかも