自分が理解するために書く
自分一人が情報を書いていて、他の人が書いていないから平等ではないとか、交流になっていないとかいう感覚が全然わか…いやわかるけど、周囲に形のある成果を期待しすぎなだけだと思う
たぶんそうやって拗ねてアウトプットをやめてみればわかるけど、他人に説明するスタンスで解説するのをやめると自分の解像度が下がる事に気づくはずで、自分が理解する為に書く様になり、最終的には読者は1年後の(意思決定の詳細を忘れた頃の)自分になって、他人の反応は関係なくなってくる
もやもやを感じつつまだうまく言語化できてなかったが、この切り口は助けになるかもしれない。ROMが最強なのは閉じた小さいコミュニティ内での評価軸に過ぎなくて、長期的には書くことによる自分個人の能力強化が上回るのではないか。
書くことの目的を「自分の成長を加速する手段」と捉える人と「他者からの評価を獲得する手段」と捉える人がいそうだな。もちろん前者の話。