自分がコストを払ったことのないもののコストは理解できない
thecure2392 いわゆるテイカーと呼ばれる人の多くは、意図的に奪おうとしているわけではなく、他者のエネルギーや時間、感情的リソースを「そもそも存在として感知できない」。奪う・取るというよりも、他者の有限性を解像度高く認識できないために、結果的にテイカー的なふるまいになる。 他人のサポートや優しさ、手間、気配りがどれだけの心理的・時間的コストのうえに成り立っているかを感じ取るには、自分自身がそれらの労力を支払った経験が必要だけど、その経験が少なかったり、自分のリソース感覚を把握していない人は、他者のリソースもまた“無尽蔵”に感じる。 人は「認知できないもの」に責任を持つことはできないので、そこにどれほど怒りや説明を投げても全く響かないので、怒るよりも、アクセスできる資源を物理的に制限するほうが効果がある。 thecure2392 「あのときの人の優しさに気づけなかった」と後から気づくことは、恥ずかしいことではなく、自分の感受性がようやくその波長に追いついたということで、人が受け取る準備が整っていない時期には、どれほど温かいものでも認識できないし、生き延びることに精一杯で、他者の好意を受け取る余裕がなかったり、信じることが怖くて優しささえ防衛的に拒んでしまうこともあると思う。 時間を経て自分の中の硬さが少しずつ溶けてくると、言葉や仕草やまなざしの意味が、別の解像度で見えてくる。時間を越えて相手の行為に意味を与え直す行為でもあるし、縁が続いていれば伝えることに遅いはない。