習得コスト
一般論として、Xをやるスキルを習得していない人は「Xをやるのにはものすごいコストがかかる、回避策を考えよう」と考えて、習得した人は「習得コストを考えにいれたとしても、回避策考えるよりさっさと習得してXをやった方がいい」と考えるものかもしれない。
習得コストはどれくらいかかるのか
それは事前に知りえない
事前に知ることはできないのだから「まず1時間学んでみる」とかやらないと見積もれない
そういうチャレンジをやらずにコストが高いと決めつけて学ぼうとしないことが問題
印象論で習得コスト高く見積もって結局回り道してる人
習得コストの見積もりを間違えた場合に何が起こるか数理モデルで表現できそう #要実験 逆に、回り道のコストが安いと判断している
習得コストと、習得した後の実行コストがある
不確実な状況での見積もりの技術に関係してくるのか
スキルみたいな掛け算でできるようになることだとそうかもしれませんけど、知識の足し算みたいな分野もありますよね。どこまで習熟しても最終的に「各個人の腰の重さ」みたいなところに収束する気がします。 僕は食事にそれほど執着がないので、新しい店を開拓するのは面倒ですので、食事の場所を探すのは妻にお願いしたり詳しい人に大いに頼ります。テレビ番組も基本見ないで、知り合いが「これ渋川さん絶対気にいると思います」ってプッシュされたやつだけ見る。英語のドキュメント読んで翻訳したり本を書くのは人よりは腰は軽いと思っています。西尾さんの例も、言語を学ぶ、ツール単体ではなくて全体のワークフローを考えるとかの分野に分解できると思います。
時間のリソースの使い方もそうだし、好奇心も有限のリソースで、人によって「消費量<回復量」な分野はいくつかあるけど人によって違うな、って思っています。人間関係以外の目に見えない(物理的な実体を持たない)構造とか、分野を超えるメタな知識とかそっち方面に興味がいく人はだいぶ少ないですね。