締め切りのあるプロジェクトとないプロジェクト
締め切りのあるプロジェクトとないプロジェクト
締め切りのあるプロジェクトは短期間に密に体験を強制する
それによって視野が広がったりする
両方大事
多分これ僕の主観的に自然な表現としてものごとの連関のネットワークの中から「重要なもの」が浮かび上がってくると自然現象のような表現が出てきているが、そもそもこの世界観は人によってまちまちなんだろうな
僕が「僕を暇にすれば重要なものが浮かび上がってくる」と信じていて、社長も僕を暇にしておいた方が良い結果が得られると信じている共有信念の状況がある キャリアをどう築こうかと考えてる若い人を見てると、ほんと僕のこの状況ってどうやって構築されたのか謎だなと思う
意図して構築されたというよりは運
でも一つの運によって全部構築されたわけでもない
たくさんのランダムな出来事の機会である方向性の選択をしつづけた感じ?
端っこを押し広げることを目的にした場合、自分がやってその結果を観察するという進め方は当たり前
僕は無自覚にその生き方を当たり前と思っている
解説など書かれていないのを当たり前と思っている
が、世の中の多くの人は誰かが先にやって解説を書いて欲しいと思っている
むしろ解説がどこかに書かれているのが当たり前と思っている
「自分が解説を見つけられてない」
「解説を書くべき人が書いていない」
「解説がどこかにあるのにそれを教えてくれない」
いやー、どれも違うと思うなぁ
「ブロードリスニングを支える技術」的な書籍でPolisやTTTCの仕組みについて解説があったら有益だとは思う
誰が書くのが良いかと考えると、まあ僕が書くのは良い選択肢の一つだと思う
一方で僕の時間は限られてて、やると良いことは無数にある状態で、じゃあそれを書くことの優先順位はどの程度か?と考えるとあんまり高くないんだよなぁ