経験の分節化
(西尾による訳) 概念化や表現と、経験や感情は別物である。経験や感情は、概念化や表現とは離れた意味を持っている。これを「感じられた意味」と呼んでいる。概念化や表現は、その「感じられた意味」に対して適切であるかもしれないし、適切でないかもしれない。この概念化や表現、別の言い方をすれば「シンボルによる構造化」と「感じられた意味」との間にはどのような関係があるか?さまざまなものがある。この本の先の章では、これらの関係を精査することによって、「感じられた意味」が認知において持っている機能を詳しく見ていこうと思う。
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原文
It is evident that all these views imply our problem: the sense in which experience or feeling has meaning apart from conceptualization and expression, such that the latter two could possibly be adequate to it. (7)
(7) We can restate this problem as follows: what relationship or relationships exist between a felt meaning and a symbolic formulation? We shall investigate the function of felt meaning in cognition precisely by investigating such relationships, and we shall find them various.
原文もこなれてないが、それを訳そうとしてよくわからないことになってるな
経験や感情
概念化や表現
離れている
離れた意味を持っている
概念化や表現
適切であるかもしれない
nishio.icon適切でないかもしれない
感じられた意味
シンボルによる構造化
どのような関係がある?
認知における
機能
色々ある
精査することによって
精査する
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(西尾の訳)概念化や表現と、経験や感情は別物である。経験や感情は、概念化や表現とは離れた意味を持っている。これを「感じられた意味」と呼んでいる。概念化や表現は、その「感じられた意味」に対して適切であるかもしれないし、適切でないかもしれない。この概念化や表現、別の言い方をすれば「シンボルによる構造化」と「感じられた意味」との間にはどのような関係があるか?さまざまなものがある。この本の先の章では、これらの関係を精査することによって、「感じられた意味」が認知において持っている機能を詳しく見ていこうと思う。