第三者の海で泳ぐ力
ShinShinohara: 子育ての大目的の一つが「第三者の海で泳ぐ力を育む」だと思う。いつか親は先立つ。親がいなくなってもたくましく生きてほしい。それが親の願いでもあるだろう。しかし親は決して赤の他人、第三者にはなれない。赤の他人と思いなさい、なんて子どもに言っても、オヤジはオヤジ、オカンはオカン。 ShinShinohara: オムツを替えるところからずっと付き合ってきた親と、赤の他人である第三者は勝手が違う。子どもは親と同じようには反応してくれない第三者に戸惑うことになる。そして親は、第三者とどう向き合えばよいかを教えることはほぼできない。子ども自身が自力で学んでいくほかない。親はただ、祈るだけ。 --- log
ShinShinohara: 子育て本を書くことになったとき、編集者の方から「子育ては親が9割、というタイトルはいかがでしょう?」と持ち掛けられた。私は「そりゃムチャです。親が子育てでできることは、せいぜい3,4割ってところだと考えていますから」と答えると驚かれた。その見積もりの小ささが意外だったらしい。 ShinShinohara: しかし、今でもそうだと思っている。子どもにはそもそも個性がある。また、学校生活に入ると、様々な人との関わりが生まれ、そこから子どもはまだんでいく。親が子どもにできるのは、せいぜい3,4割といったところだろう。ただ、ピラミッドの基礎の部分にあたるから非常に重要ではあるのだけど。 ShinShinohara: 「才能」という言葉は私にはよくわからないからあまり使わないことにしているのだが、「好み」は生まれ持って備えている部分はあるように思う。息子は赤ん坊のころから物の構造、図形的なものへの関心が強かった。娘は逆に図形的な勘が息子より良いようだったが、関心は薄かった。 ShinShinohara: お風呂に浮いているおもちゃを、息子は目測を誤り、指先に当ててむしろ遠ざけるシーンがしばらく続いた。娘はそのあたりの勘がよく、そんなシーンを見せることなくいきなりつかむことができた。図形的勘は娘の方が生まれつきよいような気がしている。しかし。 ShinShinohara: 息子は、そうした失敗もひっくるめて関心事だったらしく、ドアノブを回すとなぜ出っ張りが出たり引っ込んだりするのか、30分くらい繰り返して観察していた。ドアを閉めたら開かなくなる仕組みの研究にも余念がなかった。私はその間、ずっと抱えていなければならなかった。 ShinShinohara: 娘は仕組みを見抜く直観に優れているらしく、いきなり成功させてしまう。しかもいきなり「利用」に入る。息子は仕組みに関心を持ち、納得してからでないと「利用」に入らないが、娘はいきなり「利用」に入る。しかし関心がたいして強くないから、結局、「好み」の点で息子が図形的センスで長じる。 ShinShinohara: 娘は「人間模様」に関心が強いらしく、人形遊びを早くから創造した。私も嫁さんもそんなこと教えたことないのに、ママゴトを始めた。すみっコぐらしの好きな娘は、その家を作るため、レゴを組み立てる。実に見事に。しかしあくまでママゴトのための「利用」でしかない。仕組みに関心がない。 ShinShinohara: これだけ「好み」が違うと、伸びる能力も異なる。息子は物の仕組みに、娘はママゴトを一層豊かにするための調度類のコーディネートに。二人ともレゴとかで構造物を作るのが好きだが、アプローチが全然異なる。ああ、面白いなあ、と思う。 ShinShinohara: 子育ての大目的の一つが「第三者の海で泳ぐ力を育む」だと思う。いつか親は先立つ。親がいなくなってもたくましく生きてほしい。それが親の願いでもあるだろう。しかし親は決して赤の他人、第三者にはなれない。赤の他人と思いなさい、なんて子どもに言っても、オヤジはオヤジ、オカンはオカン。 ShinShinohara: オムツを替えるところからずっと付き合ってきた親と、赤の他人である第三者は勝手が違う。子どもは親と同じようには反応してくれない第三者に戸惑うことになる。そして親は、第三者とどう向き合えばよいかを教えることはほぼできない。子ども自身が自力で学んでいくほかない。親はただ、祈るだけ。 ShinShinohara: そんなこんなを考えると、親が子どもにしてやれることは、せいぜい3,4割だけ。残り6~7割は、子ども自身が自分自身の力でどうにかするしかない。親はほぼ祈ることしかできない。どうか、第三者の海でも泳ぎ切れる力が身につきますように、と。 ShinShinohara: だから私の書いた子育て本は、子育ての3~4割のことしか書いていない。残り6~7割の、親が手出しできない領域のことは書いていない。私の子育て本を読んで、子育てのすべてが書いてあるとは思わないでいただきたい。残念ながら、親にできることに限定して書いてあるに過ぎない。 ShinShinohara: 「親が手出しできない、6~7割のことを子育て本で書きたい」と、編集者の方と相談したが、紙面が限られていることもあり、「親にできること」に限定して子育て本を書くことになった。そのことは、あとがきにちょっと触れている。親以外の第三者に育てていただく必要がある、ということを。 ShinShinohara: ただ、「第三者の海」に対して、親が子どものために、ほんの少しだけできることがある。謝ること、感謝すること、驚くこと。 私はYouMeさんと子育てについて何度も話し合い、その中で「何かご迷惑をおかけしたら、親として何度でも頭を下げよう」ということを確認し合った。
ShinShinohara: 子どもは当然ながら未熟。未熟だからたくさん失敗するだろう。失敗してご迷惑をおかけするだろう。しかし失敗しないと学べないことがある。悔いるようなことがないと改められないことがある。だから、ご迷惑をおかけすること前提で、親として何度でも頭を下げよう、とYouMeさんと話し合った。 ShinShinohara: 私もYouMeさんも、「立派な親だ」と言われたいと思っていない。自分の見栄を満足させることは考えの外。子どもが学び、成長できるのなら、失敗するのもやむを得ない。しかしそれで第三者にご迷惑をおかけしたら、ともかく謝る。ご迷惑をおかけしました、と、何度でも。 ShinShinohara: そして、感謝する。子どもが未熟であるがゆえに、たくさんの人にご迷惑をおかけすることになる。お世話になることもたくさんある。だから感謝する。寛大に、鷹揚に子どもを受けとめて下さってありがとうございます。子どもに気遣ってくれてありがとうございます。 ShinShinohara: 親が謝ること、感謝することは、赤の他人だらけの「第三者の海」に子どもが飛び込む際、味方になってくれる大人や子供を増やすきっかけにはなる。「うちの子と遊んでくれてありがとう」「うちの子がごめんね。でも、これからも遊んであげてね」 ShinShinohara: そして、「驚く」こと。私は結婚前から「公園デビュー」というのを聞いていて、身構えていた。赤ちゃんの首が座るようになり、公園に遊びに出かけるようになった時、うまくママ友の集団に入り込めないと、子どもと砂場でずっと二人ぼっちの孤独に苦しまねばならない、と聞いていたから。ところが。 ShinShinohara: YouMeさんはあっさり「公園デビュー」を成功させ、公園にいるママ友とにこやかに歓談した。私の良心の住む大阪の公園にフラッと寄ったときでも、見知らぬ人ばかりなのにすぐほかのママ友と仲良く話し始める。私はびっくりして、YouMeさんを観察した。すると。 ShinShinohara: YouMeさんは公園に着くと、息子(当時赤ちゃん)に語りかけるように「わあ、あのお兄ちゃん、足が速いねえ!ビューン!」「うわ、あのお姉ちゃんすごいねえ、雲梯をピョンピョン進んでいるよ」と、驚きの声を上げた。すると、そうした子どもはますますハッスルして「見て!」とアピール。 ShinShinohara: YouMeさんは「すごいすごい!ねえ、すごいねえ」と息子に語りかける形で驚く。そのうち、そうした子らが「ねえ、その子、おばちゃんの子?」と気にかけてくれる。YouMeさんは「そうなの。一緒に遊んでくれる?」というと「いいよ!」と、息子になにくれとなく世話をしてくれる。 ShinShinohara: よその子の世話をする姿なんて見たことがないお母さんが驚いて、近づいてくる。YouMeさんは「うちの子と遊んでくれて、優しいお兄ちゃんお姉ちゃんですねえ」と喜ぶと、まさか我が子にそんな一面があったとはと驚きつつ、そのお母さんも嬉しくなり、YouMeさんと楽しそうに会話。私は舌を巻いた。 ShinShinohara: そうか、見知らぬ人の善意を引き出すのに、「驚く」とよいのか!速く走る子ども、雲梯を上手に進む子ども、滑り台をスーッと滑る子ども。そうした子どもの様子に驚けば、子どもはハッスルして「こんなこともできるよ!」とアピールする。それに驚けば、子どもは親近感を持つ。 ShinShinohara: 親近感がわくと、「このおばちゃんの喜ぶことをしたい」と自然になり、子どもの世話もしてくれる。ほかの子どもの世話をする我が子に驚いた親が近づいてきて、YouMeさんが素晴らしいお子さんだと驚くと、親御さんもYouMeさんに親近感がわく。「驚く」が起点となり、好循環が始まる。 ShinShinohara: 他者のパフォーマンスに、好意に「驚く」と、赤の他人だった第三者が好意を抱き、なにくれとなく世話をしてくれるようになる。「驚く」は、相手の力、成長、発見を素直に認める心のありようを示すものなので、相手も心を開いてくれる。「驚く」は、第三者の好意を引き出す魔法の一つ。 ShinShinohara: 謝る、感謝する、驚く。この三つは親が、赤の他人である第三者の好意を少しでもとりつけるためにできること。子どもにほんの少しだけ、道をほんの少しだけ切り開くことができる。そして子どもにも、身をもって、謝る、感謝する、驚く、が、第三者とつながる力であることも伝えられる。 ShinShinohara: 親ができるのはそこまで。あとは、子ども自身が切り開いていくほかない。親は、それを見守り、祈ることしかできない。親が子どものために何でもできると思うのは誤り。赤の他人である第三者からのご好意も頂かなければいけない。どうか我が子をよろしくお願いします、と。 謝ること、感謝すること、驚くこと
ShinShinohara: 「親が9割」に反応しておられる方が少なくないようで。ただ、私が子育て本を書く前は、それに類する主張が強かったです。編集者のご指摘でこの問題を意識化でき、その後、第三者の存在がいかに大きいかを繰り返し、私以外の人も訴えることで、だんだんと世論が変わってきました。 ShinShinohara: 子育て本を書いていたころ、ちょうどワンオペ育児の問題が話題になっていました。一人で赤ちゃんを育てることの過酷さがクローズアップ。「ママたちが非常事態!?」というNHK特集も組まれるなど、一人の子育てに無理がある、という考え方が徐々に広まってきました。 ShinShinohara: 「あさイチ」で、イノッチこと井ノ原さんが「ひよこスイッチ」を提案したのも、この頃です。電車に乗っていると、赤ちゃんが泣き叫び、電車に乗っている人が舌打ち。お母さんは赤ちゃんを泣き止ませようと必死。井ノ原さんは、「ピヨピヨ」と鳴くスイッチで、気にしていないよ、と伝えられたらと提案。 ShinShinohara: 私も何とか「第三者による子育てアシスト」の重要性を伝えたい、と考えていた中で、次の話をツイッターで紹介。赤の他人は「背景」でしかなくなっていること、しかし第三者による子育てアシストがいかに有効か、ということを訴えたところ、大変バズりました。 corobuzz.com/archives/141255
ShinShinohara: 私以外の人たちも、いかに子育てに多くのサポートが必要かを訴えることで、社会の雰囲気が変わり、「親が9割」という受けとめ方が後退していきました。世論を変えるには、どうしても時間がかかりますし、多くの人の理解が欠かせません。