白骨の御文
朝は元気でも夕方には白骨になる可能性がある
https://www.youtube.com/watch?v=UcXz6ff66mA
白骨の章
「白骨の章」は室町時代に活躍された蓮如上人(1415-1499)が書かれたものです。蓮如上人は親鸞聖人の教えを正確に多くの人に伝えられた方で、その点で蓮如上人以上の方は今日までありません。...「白骨の章」とは名前に「白骨」とあるように、生まれた者は必ず死んでいかねばならない厳粛な現実を名文で書かれているので、浄土真宗の葬式の際に、よく読まれています。 それ人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、凡そはかなきことは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり。されば、いまだ万歳の人身を受けたりということを聞かず。一生過ぎやすし。今に至りて、誰か百年の形体をたもつべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本の雫、末の露よりもしげしと言えり。
されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。すでに無常の風来たりぬれば、すなわち二つの眼たちまちに閉じ、一つの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李の装いを失いぬる時は、六親眷属集まりて、嘆き悲しめどもさらにその甲斐あるべからず。
さてしもあるべきことならねばとて、野外に送りて、夜半の煙となしはてぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あわれというも中々おろかなり。
されば、人間のはかなきことは、老少不定のさかいなれば、誰の人も早く後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。