生成と消滅の精神史
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プロローグ
序章: 心の形而上学とメタファー
心の自明性―フーコーの考古学 / 心を語る心 / 形而上学からメタファーへ / 鏡としての心 / 人工知能の起源と来歴
心は「発明」である、という立場
フーコー: 人間は特定の時代の知識形態と制度が生み出したあり方→時代が変われば消える: 「人間の終焉」 この本は心の発明がどのように行われたかを追う本
フーコーの「l'homme」は「人間」と訳されるが、もちろん日本語の「人間」とは異なる
「それ」は「特定の時代の知識形態と制度が生み出したあり方」なので言語・文化が異なれば当然異なる
「人間」「人-間」関係性を前提とした概念
↔単独者として生きるハイデガー的な人間
同様に英語圏におけるMindの概念は理性や意識と強く関連しているが、日本古来の「こころ」はそうではない
哲学はメタファーを排除できていない、「論理的な分析」ではなく「イメージの投影」だ、という指摘
哲学の歴史が「論証の歴史」ではなく「メタファーの歴史」なら、メタファーがどう創造され変容したのかの変遷をたどる
「心は世界を映すもの」というイメージ
フーコー「人間は発明された」ローティ「心は人間が生み出すイメージと共進化してきた」ドレイファス「プラトンが『徳は教えられる』と主張して知を方法論的な手続きに還元したときに、人工知能につながる知性のあり方が成立した」 第Ⅰ部: 西洋編
第1章: 心の発明
心のなかった時代 / 神-心-自然 / 風のような心・動物のような身体
心の発明 --- ソクラテスとプラトン / 制御する心 / 魂の「治療」から、魂の「造形」へ / 自己と心の最初の結託 / 情報処理システムとしての心 / 心の創造と不安
第2章: 意識の再発明と近代
私と世界の存在の方位 / 魂から意識へ / 明滅する心
ソクラテスの誤算 / 神なき心の時代 --- パスカルの苦悶 / 無限なる宇宙と無限なる心 / クザーヌスからパスカルへ / 宗教改革と内面的狂気 / 転がる心 --- 暇つぶしと消費社会
心のソフトウェア / 形式・機能としての心条件と規則 / カントと認知科学 / カントと脳 / 一切と無の心
第3章: 綻びゆく心
知覚のゼロ地点 / 流れる意識 --- 残響と予感のなかの知覚 / 緩められた自我 --- デカルトから離れて / 身体・他者・生活世界
円環歩行 / 二つのハイデガー像 --- 死と道具 / 意識のラディカルな解除 --- 道具・気分・生命 / 生命とネットワークへ回帰する意識
第4章: 認知科学の心
認知科学の誕生 --- 言語・神経・主観性
言語の形式化と論理への欲望 / 神経とコンピュータ / 主観性という幽霊
認知科学の出発点 / 身体化された心 / 生命の次元 --- 行為と循環のサーキット / センサーモーター主観性 / 脳 --- 身体 --- 環境システム / 生命と人間のはざまで
カント的意識モデルの転倒 / 実存を支えるセンサーモーター / 曖昧な意識への侵入者 / 肉の哲学 / あらゆるものが包み合う世界で
補論: 生命は再開する
上演する心 --- フランシスコ・ヴァレラ
第Ⅱ部: 日本編
第5章: 日本の心の発生と展開
神話の起源と心の原初
『万葉集』から『古今和歌集』へ --- 言葉から心へ
「見る」から「思ふ」へ --- 身体の眼と心の眼 / 「交雑する自然」から「情報論的自然」へ / 「メッセージ」から「交渉」へ --- 変わる自然と心の関係 / 可能世界と心のテクノロジー / 可能世界と現実の二重化
第6章: 夏目漱石の苦悩とユートピア
引き裂かれた心
漱石と現代 --- ヴァーチャルな「自然」と「主体」の困難 / 『草枕』と『虞美人草』 --- 山・春・眠り / 『坑夫』の心身問題 --- 他者・群体・文明 / 『それから』、『門』、『彼岸過迄』 --- 渦巻く心 / 『行人』--- 狂気の思想
漱石・バタイユ・江藤淳
江藤淳とバタイユ / 漱石の身体 / 決別の『明暗』
漱石とサイバネティクス?
漱石の自然観 --- イギリスからアメリカへ / ホイットマン、ジェイムズ、ギンズバーグ / 漱石の意識の科学論 / 全体からの呼び声
終章: 拡散と集中
《拡散する心》 --- 《集中する心》
自画像としてのAI?
終わらない心
エピローグ: あとがきにかえて