理解と検証
「
理解の検証
」という表現には、まず「
理解
」があって、その後「
検証
」される、という暗黙の仮定があった
「
自信はないが成績は高い
」では、テストをした人の方がテストをしていない人に比べて理解している自信がないが、実際の正解率は高い(=成果は出ている)ということを見た
先にある「理解」は「
理解した感
」にすぎず、それはしばしば成果につながらない
一方で「
理解と成果のデカップリング
」では「
理解した感
」がないまま「
成果
」がでるようになっていくことが指摘された
現実の課題を解いて成果が出ることは、それの正しさの検証と言えそう
きっかけ
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理解していない修正
/villagepump/2025/03/07#67cabb83774b170000889395