理解されなかった時に説明するか
「理解されなかったら説明するはずだ」的な主張を見て「そうか?」と思った
理解されたい欲の存在を暗黙に仮定している
賢い人はわかりやすく説明できる#5df09189aff09e0000391f47
多くの場合、AさんはBさん個人のためにたくさん時間を割いて最適な教え方をする気はない
教えることにはコストがかかるので、そのコストを払う理由がない限り教えることはない
気が向いたら少量のコストで軽い説明をすることはあるだろうが「気が向いたら」
教えることによって更なる発展がありそうと思えば、将来の収穫のために教える動機が生まれる
逆に言えば発展が期待できない場合には教える理由がない
SNSで無理解なコメントを投げつけてくる人に対して、懇切丁寧に説明しても時間の無駄
こういうケースではそもそも説明すべきではないと考えている
広い意味で理解されたい欲はあるはずだが、それは「すべての人に理解されたい欲」ではない
関連: 理解されないことに対する諦め
理解しない人がある程度存在することは当たり前のことだと考えており、それを自分がコストをかけて解決すべき問題だとは思っていない
費用対効果の差がありそう