現象学的還元
E.フッサールの現象学における用語。狭義には超越論的還元をさし,広義には形相的還元をも含めたものをいう。われわれは自然的態度では世界の超越的存在の定立を日常暗黙のうちに認めているが,フッサールはこれでは厳密な学問的認識が不可能であるとして,自然的態度を徹底的に反省し,それをいわば「かっこに入れ」判断中止を行う方法的操作を超越論的還元 transzendentale Reduktionといった。そしてその還元による現象学的剰余としての純粋意識に,世界の存在意味を問うた。しかし世界の存在意味は主観性のうちに求められなければならないところから,純粋意識の事実から純粋意識の本質への還元を形相的還元 eidetische Reduktionといい,超越論的還元と区別した。しかし彼の思索は絶えず練直され,のち現象学的還元についての考え方は修正されていった。
例えば我々が「なぜ〜なのか」と考えているときに、割と自然に「それが常識だからだ」とか考えてしまったりする。この「常識」は超越的存在の例で、こういう考え方をしていると色々なものを超越的存在に帰着して「そういうもんだ」ってしてしまう。だからそういう考え方を振り返り、「あ、今自分は"常識"という超越的存在に帰着したな」と気づき、その帰着をやめる行為が必要。これが超越論的還元である。