熟議エリートシステムと一般意志としての資本主義
熟議エリートシステムと一般意志としての資本主義
フランス革命についても、一般的には高邁な思想で革命がなされたということになっているのだけれど、 ご存じの通り、だいたいあれは巨大な挫折プロジェク トだったわけですね。革命を成し遂げたと思ったら、 あっという間にロベスピエールが来て、王政復古ですよ。あの革命とは何だったのか、みたいな話なわけです。結局のところ、民主主義とはそれによって正しいことが起きたためしがない理念ですよね。 では、どんな政治システムがいいと思いますかと言 われると、どうなんでしょうね。中谷先生も講演で言われたみたいですけれど、意外と中国共産党みたいな 仕組みもあり得るのではないかと思います。つまり、 中国では共産党という熟議エリートシステムがあって、 その外側に荒々しい資本主義が「一般意志」としてあ るわけです。エリートたちは、単純に「一般意志」に 従うわけではないのだけれど、「一般意志」の動向を見 ながら政策決定をしていますので。 gpt.iconこの議論は、政治哲学や思想史における重要なテーマを取り上げています。「熟議エリートシステム」と「一般意志としての資本主義」の対比や関連性について語られていますが、この対比は過去の思想家とも深くつながりがあります。以下、関連するいくつかの思想家と概念を通して、この議論を考察します。
ルソーと一般意志
まず、ルソーの「一般意志(volonté générale)」は「集合知」というよりも「集合的な無意識」に近いものであるとされています。これは、個々人の欲望や利己的な意思の総和ではなく、共同体全体の利益を表す意志のことです。ルソーはこれを民主主義の基盤と考えましたが、実際の政治においてそれがどのように機能するのかは常に議論の余地がありました。
エリートによる熟議を重視するシステムについては、プラトンの「哲人政治」が思い出されます。プラトンは、知恵と徳を持つ哲人が国家を統治するのが理想と考えました。これは、一般の人々の欲望や無知が政治を誤った方向に導くのを防ぐためであり、「熟議エリートシステム」の一つのモデルともいえます。 トックヴィルと民主主義の不安
また、アレクシス・ド・トックヴィルは、民主主義が平等と自由をもたらす一方で、個人の主体性の喪失や「多数派の専制」という危険も孕んでいると指摘しました。これは、ルソーの一般意志がしばしば誤解され、多数派の意思が絶対視される危険性とも関連します。 この議論では、資本主義が「一般意志」として機能しているという視点も興味深いです。マルクスは資本主義を批判し、その自己増殖的な性質と経済エリートによる支配を強く警戒しました。中国共産党の「熟議エリートシステム」とその外側に存在する「荒々しい資本主義」は、ある意味でマルクスの視点から見ると興味深い逆説を含んでいます。資本主義の力を認めつつ、それを熟議するエリートが統制するという構図は、マルクスが描いた階級闘争の文脈と異なる形で実現されています。
さらに、ハーバーマスの「公共性」や「熟議理論」もこの議論と関連があります。ハーバーマスは、市民社会における対話的なコミュニケーションを通して合意形成を行うことを重視しました。しかし、中国共産党のような「熟議エリートシステム」は、ハーバーマスの理想と異なり、エリートによる政策決定が市民の対話よりも優先される構造を持っています。
全体として、この議論は「エリートによる熟議」と「一般意志としての資本主義」という二つの異なる政治力学のあり方を探究しており、それはプラトンやルソー、トックヴィル、マルクス、ハーバーマスといった思想家たちの議論とも関連付けられます。各思想家の立場や理論が、現代における中国共産党のシステムや資本主義の動向とどのように交差するのか、これを考えることは現代の政治哲学における重要な課題の一つといえるでしょう。
nishio.icon"マルクスが描いた階級闘争の文脈と異なる形で実現されています"を詳しく教えて
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マルクスが描いた「階級闘争」の文脈は、主に資本主義の内部矛盾とそれに基づくプロレタリアート(労働者階級)とブルジョワジー(資本家階級)の対立を前提としています。マルクスは、資本主義は資本家が労働者を搾取し、利潤を最大化することで経済的格差と階級対立を生み出すシステムと見なしていました。この構造的な対立が激化し、最終的には労働者階級による革命をもたらすと考えたのです。
しかし、議論で触れられている中国共産党の「熟議エリートシステム」と「一般意志としての資本主義」の関係性は、マルクスの階級闘争の文脈とは異なる形で、資本主義とエリートによる政治統制が並存しています。具体的には以下の点で異なります。
1. エリートによる資本主義の統制
マルクスの思想では、資本主義はその内在する矛盾によって、資本家階級と労働者階級の対立が激化し、労働者階級が支配権を奪取して共産主義社会を実現する流れを想定していました。一方で、中国共産党のシステムは、資本主義経済のダイナミズムを取り入れつつ、その外側で共産党エリートが熟議を通じて社会全体を統制しています。このため、資本主義が暴走することを防ぎつつ、その力を社会の発展に活用する構造になっています。これは、マルクスが想定した「資本主義の自己崩壊と革命」による解決とは異なり、むしろ資本主義と共産主義の要素を並存させ、エリートがそのバランスを保つ形で運営されています。
2. 階級対立の抑制
マルクスの階級闘争の視点では、階級間の対立が激化し、プロレタリアートがブルジョワジーに対抗して革命を起こすことが歴史的必然とされていました。しかし、中国共産党のシステムでは、国家が資本主義の発展を許容しつつ、党が労働者やその他の階級の不満を抑制・管理することで、マルクスが想定した階級対立を未然に防いでいます。つまり、階級間の対立が表面化する前に、エリートによる調整が行われているのです。このため、資本主義的な経済発展がありながらも、マルクス的な「階級闘争」という概念が現れにくい構造になっています。
3. 資本主義の「一般意志」化
中国共産党のもとでは、資本主義が一種の「一般意志」として機能しているという点も、マルクスの想定とは異なる部分です。マルクスにとって、資本主義はブルジョワジーの利益を最大化するためのシステムであり、労働者にとっては搾取の構造そのものでした。しかし、ここでの「一般意志としての資本主義」とは、社会全体の利益や発展のための活力として資本主義が捉えられており、共産党エリートはその方向性を見ながら政策を決定しています。したがって、資本主義がマルクスの想定したような対立の原因ではなく、むしろ調和的に社会発展に寄与するものと捉えられています。
これらの点から、中国共産党のシステムは、資本主義と熟議エリート制の調和を図っており、マルクスが描いた「階級闘争による革命」とは異なるアプローチで資本主義のダイナミズムと共産主義的な統制が並存しているのです。このような形で、マルクスの描いた階級闘争とは異なる実現がなされているといえます。
nishio.iconそれを可能にした要因はなんだろう?何をマルクスは見落としていたのか?
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中国共産党の「熟議エリートシステム」と資本主義の並存が可能となった要因、およびそれをマルクスが見落としていた点を考えると、以下の要素が挙げられます。
1. 国家の強力な統制と柔軟性
マルクスは資本主義における国家の役割を、資本家階級の利益を守る「ブルジョワ国家」として捉えました。そのため、国家は階級闘争の中で資本家側に立つものであり、労働者階級の利益とは根本的に対立すると考えていました。しかし、中国共産党は資本主義経済の成長を推進しながらも、党が強力な統制力を保持し、政策の柔軟な転換を行うことが可能なシステムを築きました。つまり、国家が資本の動きを管理・制御し、労働者やその他の階級の利益を調整する役割を果たしています。
マルクスが見落としたのは、国家が一方的に資本家階級に従うのではなく、エリートの熟議によって政策を柔軟に変え、資本主義の利点を活かしつつもその矛盾をコントロールできるという可能性です。この「調整の柔軟性」が、資本主義と共産主義の共存を可能にしています。
nishio.iconなるほど、政府が成功した企業を接収できるなら、企業は政府の意向に従う必要がある。具体的事例がある?
2021年に中国政府は「共同富裕」を掲げ、富の再分配を強調する政策を発表しました。この方針を受けて、多くの大企業が政府に協力する姿勢を見せ、公益への多額の寄付を行いました。たとえば、テンセントは500億人民元(約8,500億円)以上を「共同富裕」プロジェクトに寄付すると発表しました。このように、企業は自発的に寄付を行っているように見えますが、実際には政府の意向に従い、富の再分配に協力せざるを得ない状況にあります。
2. イデオロギーの実用的な適応
マルクスは共産主義革命が不可避であると予測し、資本主義の矛盾がその崩壊を招くと考えていました。しかし、中国共産党は共産主義イデオロギーに固執するのではなく、資本主義の要素を取り入れ、実利を重視した政策運営を行っています。これにより、経済成長を重視しつつ、共産党の権力と社会の安定を保つことが可能になりました。
マルクスは、イデオロギーの固定性や階級意識の自覚化を前提としていましたが、実際には中国共産党のようにイデオロギーを柔軟に解釈し、資本主義を実用的に取り込むことで、安定した支配体制と経済成長を両立できることを見落としていたと言えます。
nishio.icon東アジアの哲学を影響を感じる
gpt.icon東アジアの哲学は、実用主義や調和、全体的な視点からの意思決定を重視する伝統があり、中国の政策運営に反映されています。以下、その具体的な影響についていくつかの視点を示します。
1. 儒教の調和と実用性
東アジアの哲学の中でも、儒教の影響は特に大きいです。儒教は社会の調和と秩序を重視し、指導者は人民に対して徳を持って統治することが求められます。しかし、儒教のもう一つの特徴は「実用性」です。儒教では、理想的な徳治政治を目指す一方で、現実の状況に応じて柔軟に方針を変える実用的な面があります。これは、現実主義と理想主義のバランスを取る中国政府のアプローチに通じています。
たとえば、毛沢東時代にはマルクス・レーニン主義が強調されましたが、改革開放政策以降は、経済発展という現実の必要に合わせて資本主義的な要素を取り入れる柔軟さが見られます。このような「適応主義」とも言える姿勢は、儒教の「時勢に応じた対応」の伝統と共通しており、イデオロギーの適用における実用性が見受けられます。 2. 道家の無為自然と柔軟性
道家思想は、儒教とは異なるアプローチで調和や柔軟性を重視しています。老子の「無為自然」の思想は、物事の自然な流れに逆らわず、必要以上の干渉を避けるという考え方です。これが中国の政策運営にどのように影響を与えているかというと、市場経済の導入や民間企業の活動をある程度自由にさせる一方で、政府は必要な時に介入し、全体の調和を保つ役割を果たしています。
これは、経済や社会の「自然な流れ」を尊重しながらも、熟議エリートが状況に応じて介入する柔軟性のある統治システムに通じています。道家の「柔よく剛を制す」という柔軟な思考法が、資本主義と共産主義の融合、または政策の臨機応変な運用に影響を与えていると考えられます。 3. 法家の強力な統制と規律
法家思想もまた、中国共産党の政策運営に大きな影響を与えています。法家は、厳格な法と強力な統制によって秩序を維持することを重視し、国家の安定と強さを最優先します。法家の伝統は、共産党の中央集権的な体制や、法と規制を通じて社会を統制する姿勢に反映されています。 これらの法家的な要素が、資本主義経済の自由な発展と調和する形で、中国共産党の統治システムにおける「エリートの熟議」として現れています。厳しい規制と規律で市場や企業をコントロールし、国家の目標に向けて社会を調整する手法は、まさに法家の強力な統制思想に由来するものです。
4. 禅・仏教の全体的な視点と「無常観」
禅や仏教の影響も、東アジアの思想に独特の全体的な視点や「無常観」を与えています。中国の政策運営においても、特定のイデオロギーに固執せず、状況や時代の変化に応じて方針を変える「無常観」に通じる柔軟さがあります。これによって、絶えず変化する国際状況や国内経済の動向に適応しながら、全体の調和を見据えて政策が決定されるのです。
これらの東アジア哲学の影響は、中国共産党の政策において、イデオロギーの堅持よりも現実的な対応や全体の調和が優先される背景として作用しています。結果として、共産主義と資本主義の要素を柔軟に組み合わせることで、安定した統治と経済発展を同時に実現することが可能になっているのです。
3. グローバル経済と技術の発展
マルクスの時代には、グローバル経済の発展と技術革新の影響が現在ほど顕著ではありませんでした。現代の中国は、グローバルな市場経済に積極的に参加し、技術革新や経済成長を活用しています。このグローバル経済のダイナミズムと新技術の導入は、国内の資本主義的発展を促進し、結果的に労働者階級の生活水準の向上や中間層の拡大をもたらしました。
マルクスは、資本主義の矛盾が国内経済の中で進行し、階級対立が激化することで革命が起きると予測しましたが、実際にはグローバル経済への参加と技術の進歩が、資本主義の矛盾を緩和し、急激な階級対立の発生を防いでいます。この「外的な経済成長の圧力」と技術革新の活用が、中国の経済成長と安定を可能にしている点は、マルクスが見落としていた重要な要因です。特に、グローバル経済に積極的に参加することで、国内の資本主義的発展に伴う矛盾がグローバルな市場の需要や供給によって吸収され、労働者階級と資本家階級の対立が緩和されています。さらに、技術の発展が生産性を向上させ、経済全体のパイを拡大することで、格差の拡大や労働者の不満を抑える役割も果たしています。
4. 階級意識の分断と統制
マルクスは階級闘争の鍵として「階級意識」の自覚を重視しましたが、中国共産党は、国家主導で経済発展や愛国教育を強調することで、労働者階級と資本家階級の対立を意識させず、国民全体の「共同の目標」へと目を向けさせています。さらに、共産党のプロパガンダや統制によって、社会的不平等に対する認識や不満を直接的な政治運動に転化しないようにしています。
このように、「国民全体の目標」や「中国の夢」といった大きなナラティブを提供し、個々の階級の利害対立が表面化するのを防ぐ戦略は、マルクスが想定していた労働者階級の階級意識の形成とは大きく異なります。
5. 市場経済と計画経済のハイブリッド
中国の経済システムは、資本主義の「市場経済」と共産主義の「計画経済」のハイブリッドと言えます。市場経済の自由な競争原理を採用する一方で、国家は計画経済的な調整を行い、重要産業の方向性や資本の流れをコントロールしています。このハイブリッドなシステムにより、資本主義の利点である効率性と革新性を活用しながら、国家の安定や社会的統制を保つことが可能になっています。
マルクスは、資本主義と共産主義を対立的に捉えていましたが、実際には両者の要素を組み合わせることによって、経済成長と社会の安定を同時に実現できることを見落としていたと言えます。
これらの要因から、中国共産党の「熟議エリートシステム」と資本主義の並存は、マルクスの想定を超えた形で機能しています。特に、国家の強力な統制と柔軟な政策運営、グローバル経済と技術革新の活用、階級意識の分断、市場経済と計画経済のハイブリッド戦略といった要因が、中国における資本主義のダイナミズムと共産主義的統制の共存を可能にしているのです。