比較優位
AさんがBさんよりあるタスクの生産性で劣っていたとしても、Aさんがそのタスクをやるべき状況がある。
無駄な人は誰もいない
資金が潤沢でない時にどれくらいの金額まで出せるかという議論
ただしこれは人間を「1時間のプログラミングで10の価値を出せるなら、8時間で80の価値が出せるはず」という生産機械のような捉え方をしてて、その前提が割と怪しいね
自分のX能力が1.0、Y能力がy (< 1.0、たとえば0.5)とする。Yを1タスクやるには1/y (たとえば2)の時間がかかる
Y能力がz(< y、 たとえば0.25)である人にアウトソースするとする。
1/z(たとえば4)の時間がかかる。
外注しない場合、1/yの時間を消費してYタスクが1こなされる
外注する場合、1/zに比例する支払いをして、Yタスクが1こなされ、1/yの時間をプログラミングに使い、1/y (> 1.0) のXタスクがこなされる。
うーん、「こなす必要があるが特に利益を生むわけではないタスク」と「利益を生むタスク」などを分けて考えないとイマイチな感じだぞ
そもそものリカードの比較優位論はコモディティの生産だったので、タスクが事後的に価値を生んだりしない
取引される財の量と価値が比例するという前提がある
ワークアズライフと絡めて考えるとよさそう?
本来のリカードの比較優位の話と違ってタスクの外注の場合、他人のタスクの管理をするタスクが発生する
引き受けてくれる人を探すコストもかかる