死蔵を回避する
最近は、記事を「読んだ」ときには、できるだけScrapboxにメモを作るようにしている。でもって、そうすると実にいろいろな話がつながっていく。こういう一手間が死蔵を回避する手立てなのだろう。 現象としてリンクが増えていくわけだが、実感としても何かの根が拡がっていく感じ、何かが肥えていく感じがある。
で、ほとんど間違いなく、これはかつて情報カード・システムで実行されていたことと同じなのだろう。単にクリップすることは雑誌を切り取ることとイコールであって、情報カードを作ることと同じではない。わずかであっても「自分の言葉」で書き記すことが必要。 普段我々は、ある単語Xで表現する概念は人それぞれ違うのだが、同じだと仮定して活動している
時々大きな問題が起きた時に「誤解が起きた」という表現をするが、そもそも最初から「誤解0%」ではない
数学などの一部の分野は細心の注意とコストを払って誤解が起きないように努力している
一般人は言葉の定義を気にしない
なぜ「自分の言葉」にするのが大事かというと、他人の言葉は自分の理解を表現するのに適切ではないからだ