正しいとは言い切れない
nishio 僕が忙しいように見えるならそれはツイートしまくってるから観測容易なだけ。オードリーさんもグレンさんも安野さんも僕よりみっちり詰まってる。しかもすごいのはそんな状態でもハイクオリティな思考を続けることができているところだ。僕だと疲れて雑になりそうなタフな意思決定をこの状況でしている nishio この数日間でその強さをひしひしと感じていた中で、2時間の講演を聞いた後の廊下で浅い批判をして彼ら彼女らと同等の存在になったような気持ちになっている人を見て、ちょっとイラッとしてしまった nishio 「正しいとは言い切れない」的な主張は公理のない現実社会においては大体いつでも使える反論カードであり、そんなカードを出して「批判できる俺は賢い」みたいな顔をされても、僕はちっとも賢いと思わない。その批判は社会をより良くすることに何か寄与するのか? kmizu その気持ちは凄くわかります。ただ、一つ考えたことがあるんですが「批判することで何かしてると思いたい」「批判することで自分の立ち位置を確保したい」気持ちの表れでもあるのかなと。 自分は何を「できるか」真面目に考えることは大変なことで、批判に「逃げる」のって凄く楽なことですし。