新しいものの方が古いものより早く時代遅れになる
色んな道具を見ていると、「古いもの」より「新しいもの」の方が「時代遅れ」になりやすいという逆説を感じて面白い。ワープロがパソコンやタブレットに取って代わられても紙と鉛筆は使われてるし、ドクターグリップがクルトガに押されて低調になっても三菱鉛筆は売れ続けている。
裏を返せば、「紙とペン」には「ワープロには無い優位性」があったからワープロの時代にも駆逐されずに共存してたわけですね。それはコストかもしれないし、インターフェイスの直感性かもしれないし、解像度かもしれないし、画像と文字の併用のしやすさかもしれない。紙の本もそういうとこがある。
現代で「原始的な道具」として若干バカにされてるモノたちも、何だかんだ言ってあれ基本的に数千年の「優位性の争い」を勝ち抜いてきたヤツらなので、数年や数十年でその優位性が全部剥ぎ取られることはまず無いでしょうね。
ついでに言えば、これはマテリアルカルチャーに限った話ではないと思う。ニューノーマルだの何だの言っても、結局人類は「一同に会して酒を飲んだり、体を動かしたり、歌を歌ったりする」という「極めて原始的な祭りの形態」を上書き出来るようなモノを見つけられてないわけですよね。
それは「生き残った古いもの」vs「まだふるいに欠けられてない新しいもの」なので、比較対象に「生き残れなかった古いもの」を持ってくると、まぁ作られたものの9割以上は時代遅れになるよねっていう。
コンピュータ関連の技術も、去年出てきた便利なライブラリは来年廃れてるかもしれないけど10年前から使われ続けてるものは10年後も多分使われてそう、という肌感
リプライにあるように、今の我々が目にする「古いもの」は時の試練を勝ち残ったもの だから去年生まれた「まだ時の試練を経てないもの」と比べると、来年まで勝ち残る確率が高いわけだ
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