手段が有用かの検証の難しさと認識の偏り
手段が有用かの検証の難しさと認識の偏り
ある目的Xに手段Yが有用であるかどうかは、その手段Yを目的Xに使う場合と使わない場合の結果を比較しなければわからない
関連
だがある手段Yをすでに使えていて、目的Xに有益だと思ってる人が、わざわざ使わない場合の結果を調べるだろうか
有益だと思ってるからそれを肯定するための無意識の行動をしそう
なら有益だと思ってない人で実験するか
手段Yの習得コストが高いなら「有益かどうかわからないものの習得に時間は使えない」と考える
結局まともな比較データは入手困難であり、それが入手できることを期待したり、入手されるのを待ったり、入手できてないことをやらない理由にすることは有益でない行動なのか