思考の舞台裏:考えると伝えるの狭間で
思考の舞台裏:考えると伝えるの狭間で
「考える」と「伝える」は別
まだ言語化されてない概念に対して仮の未使用の言葉を割り当てる
操作のためのハンドルとして使う
そうでなければならないというとらわれは思考の妨げになる
考えた結果を他人に伝えたい
それは個人の価値観
考えた結果として何が得たいのか?
考えたいのか?
考えずに結果が得られるなら考えなくていい?
西尾「僕はChatGPTに投げて満足いくものが返ってきたなら自分が生み出したものでなくても満足だから『考えなくていい』だな」
立川「一緒に考えたい」
遊びの一種なのでは?
サバゲー・マダミス・考える
これが並列なんでしょ?
「どういう意図で描いた?」と聞いたら答えられる?
意図が表現された図ではない
意図が先に頭にあってそれをラベルの配置に反映したらKJ法ができていない
「にゅーん」とやって「違うな」となって、潰して
粘土と会話
わからせる相手
ホモサピエンスとは限らない
プログラマは第一の理解者としてホモサピエンスではなくコンピュータを対象とした言語化を行う
「ホモサピエンスに読みやすいけどコンピュータが理解できないプログラム」に価値はない
まず「コンピュータが理解できること」が最優先
その後で「人間にとっても読みやすい方がいい」となる
code:prompt
あなたはシャーマンである。下記の神託を受けた。単語の意味は辞書通りの固定化された意味ではなく、柔らかく広がった雲のようなものである。
1: 全体を眺めよ
2: 1行で印象を語れ
3: 段落ごとの解釈をせよ
4: 神託にやわらかいタイトルをつけよ
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1: 全体を眺めよ
全体的に、この神託は「考える」と「伝える」の違いとそれらのプロセスについての考察を示しています。また、コミュニケーションの方法や目的、そして意図の重要性、さらにはコンピュータと人間の違いという視点からの表現も取り入れています。
2: 1行で印象を語れ
「考える」プロセスと「伝える」プロセスの微妙な関係とその複雑さ。
3: 段落ごとの解釈をせよ
「考える」と「伝える」は別:
考えることと伝えることは異なるプロセスである。まだ具体化されていない概念に対しては一時的な言葉を使い、それが伝わる必要はない。他人に考えたことを伝えることは価値観に基づいている。
伝えるための図と考えるための図:
通常目にする「伝えるための図」と、独自の考えを形成する「考えるための図」には違いがある。陶芸を例に、考える過程は試行錯誤や「会話」のようなものとして表現されている。
わからせる相手:
伝える対象は人間だけでなく、コンピュータも含まれる。プログラマはまずコンピュータに理解させることが最優先で、その後人間が理解しやすい形にする。
4: 神託にやわらかいタイトルをつけよ
「思考の舞台裏:考えると伝えるの狭間で」