思考の結節点2019-11-01
DMからrandomに移動することに心理的抵抗を感じる理由の一つに「randomは全社的な共有の場であり、そこを私事で汚すのは良くない」「通知が飛んだら迷惑では」という公私の感覚があるのではないかと思う。
これを緩和するシステムとして「全員に個人に紐づいたチャンネル(書く場)を用意する」というものがあって、そうすると個人に紐づいた個人が自由に書いて良いとあらかじめ認められた場なので、公共の場に書くよりも心理的ハードルが下がる。一方で検索の対象になったりリンクで言及したりはできる。
通知に関しても「通知を見たいか受け手の気持ちでON/OFFできる」という仕組みがあれば「余計な通知を飛ばしてしまうのでは」という恐れとも無縁になる。通知が欲しい人にしか飛ばないし、その設定を適切にするのは送り手ではなく受け手の責任だから。
雑談部屋としてのrandomが一つだけで良いのは、忘年会などで全員集まった時に「全員で話した」という感覚が持てる程度の人数が限界で、それを超えてくると発言することが「人に話す」ではなく「みんなの前で発表する」に近づいていく。後者を苦手だと思ったり怖く思ったりする人がいるのは自然な話
何を「みんなの前で発表すること」と感じるか、どれくらい不安や緊張を感じるかは人それぞれ個性がある。
不安を感じている人に、不安をその個人の能力の低さに帰着するような発言をするのは筋悪ではないだろうか。
能力は絶対的なものではなく「今の環境にマッチしているか」にすぎないので。その人が今の環境に適応することを手助けすることを考えなければならない。
「各個人に紐づいたアウトプットの場を用意する」みたいな、仕組みでズレを緩和する方法は他にもいろいろあるはずで、問題を個人に帰着することはそういう解決を妨げる。
もちろん仕組みで100%解決はできないし、個人の責任も0%ではないのだけど「正しい現状認識」と「正しい解決アプローチ」はイコールではない
ちなみにサイボウズのkintoneに標準搭載されてる「ピープル」は「個人に紐づいた情報発信の場」で「通知を受け取るかどうかは受け手が選べる」で「検索やリンクでの言及ができる」ので個人の情報発信を促す上でとても良いと思ってるが、社外の人に丸ごと見せることはできないので伝えにくい
社内で話してたら「アクセス権と通知は別物」という概念が生まれて納得感があった。隠す必要がない情報は全員にアクセス権限があるべきだが、緊急に知らせる必要がない情報は全員に通知すべきではない。アクセス権と通知の切り分けができてないサービスの設計が問題。 社内の公開情報のすべてに対して「それが更新された」という情報をスピーディに知る必要がある人はほとんどいない。しかし設計がまずいサービスは見ることのできる情報が更新された時に速やかに通知を送ってしまう。そして通知が溢れる。