心理的安全性の意味の歪み
kmizu 「心理的安全性」が何故、アメリカでも日本でも意味がねじまがったかという話について個人的なひらめきがあるんだけど、そもそも「オリジナルの心理的安全性」は定型発達寄りの概念でないことがポイントじゃないかと。
「安心して間違いを報告したり反対意見を言える」というのは、定型発達文化における「反対意見をいうときにも相手の顔を立てる」みたいなのと対極という印象がある。
そこで、まあ定型発達的な文化に言葉自体が汚染されていったんじゃないかな。
汚染の経緯はDeep Researchとかである程度たどれるけど、定型発達にとって「本来の心理的安全性」はひどく居心地が悪いものじゃないのかなと思ってる。
D5vNqOhnGWFp1qm いちばん近いのは(ルールを守った、建設的な)無礼講だと思うので
safty は違いますよねぇ
kmizu ですね……。人格そのものは否定しなくても誰かの考えは否定されたり批判されたりするかもしれないわけで、それを「安全」としてしまったのがミスだった気も。
tomo_model これすごく共感できます。
「自分のメンツが潰れてもいいから反対意見がほしい」
「そこから一段高い真理に至りたい」
という感覚を持っている人があんまりいなくて寂しいです。
弁証法
DR.icon心理的安全性: オリジナルの定義とアメリカ・日本における変質
1. 心理的安全性の起源とエイミー・エドモンドソンの定義
「心理的安全性(Psychological Safety)」は、ハーバード・ビジネススクール教授エイミー・C・エドモンドソンによって1990年代末に提唱された概念です。
エドモンドソンは**「心理的安全性とは、率直に発言したり懸念・疑問・アイデアを話すことによる対人リスクを人々が安心して取れる職場環境」と定義しています。
平たく言えば、組織のメンバー誰に対しても自分の考えや意見を率直に言い合える状態を指します。
エドモンドソンの研究目的は、チームにおける学習行動と業績向上の関係性を探ることでした。例えば彼女の医療チームの調査では、ミスの少ない優秀なチームほどメンバー同士がミスの可能性について率直に話し合い、改善策を見出そうとしていた**ことが報告されています。
つまり心理的安全性の高い職場では、メンバーがミスや問題を指摘し合い学習する文化が育まれ、結果的に業績やイノベーションが向上すると期待されたのです。
2. アメリカにおける一般的な受容と定義の変化・誤解
エドモンドソンの概念は当初学術界で注目されましたが、2010年代に入って大手IT企業グーグルの社内研究「プロジェクト・アリストテレス」によって一躍脚光を浴びました。グーグルは数年かけ180以上のチームを分析し、チーム効果性の最も重要な要因が「心理的安全性」であると結論づけています。この結果が2016年頃に報じられると、心理的安全性は米国のビジネス界でも流行語となり、多くの企業が高業績チームの鍵として注目しました。
しかし人気が高まるにつれ、本来の意味から逸れた解釈や誤用も生まれました。以下はアメリカで広まった心理的安全性の一般的な誤解の例です:
「仲良しこよし」的な無風状態:
心理的安全性の高いチーム=メンバー同士が衝突せず和気あいあいとした「仲良しチーム」や「ぬるいチーム」だと勘違いするケース。
実際には、単なる仲良しムードや居心地の良さとは異なります。エドモンドソン自身も、心理的安全性は**「無責任な放任主義」や「ひたすらポジティブでいること」を意味しない**と述べています。むしろ意見の対立や厳しいフィードバックさえ安心して行えることが重要です。
基準を下げて人に甘くすること:
心理的安全性を「失敗しても罰せられないよう基準を緩めること」や「人を甘やかすこと」と捉える誤解もあります。
しかしこれは誤りで、実際には心理的安全性があるからこそ高い行動規範や成果基準に挑戦できると指摘されています。
安全な雰囲気のもと、メンバーはより大胆な目標に向けて意見を出し合い、高いパフォーマンスを追求できるのです。
好き勝手発言しても許される「何でもアリ」状態:
心理的安全性を、「何を言っても個人が責められない絶対保障」と履き違え、他者を傷つける言動までも容認する免罪符のように捉える極端な例も見られます。
例えば「心理的安全性があるから、自分の差別的な意見も自由に言っていいはずだ」という主張は概念の悪用です。
心理的安全性とは不快な思いを一切しなくて済む“快適さ”の保証ではなく、お互いが不快感を受け止めながらも率直に意見を交わせる安心感を指すものです。誰かを故意に傷つける発言まで保護するものでは決してありません。
このように米国では、「衝突や批判のない居心地の良い職場」こそが心理的安全性だという誤解が広まりがちでした。しかし実際には心理的安全性の高い職場ほど、時に厳しい意見交換や建設的な衝突が起こりうるのです。重要なのは、そうした場面でもメンバーが**「意見を言っても拒絶されたり報復されたりしない」という信頼感**を持てることです。
3. 日本への輸入と実務への導入、文化的解釈のずれ
日本でもグーグルの調査結果以降、「心理的安全性」という言葉が急速に広まりました。
エドモンドソンの著書『恐れのない組織――「心理的安全性」が学習・イノベーション・成長をもたらす』が邦訳出版され、日経新聞やビジネス誌で特集が組まれるなど、組織開発や人材マネジメントのキーワードとして定着しました。
企業の研修や講演でも「心理的安全性を高めるリーダーシップ」などが盛んに語られ、関連書籍も多数刊行されています(例:石井遼介『心理的安全性のつくりかた』や「心理的安全性を高めるリーダーの声かけベスト100」)。
しかし、日本でこの概念が広まる過程でも原義からの解釈のずれや歪みが見られました。
日本語の「心理的安全性」という直訳語は、一見「心理的に安心・安全で快適な状態」を連想させます。
そのため、表面的には「みんなが優しくて失敗を咎められない、ぬるま湯のような職場」を指すと誤解されがちです。
例えば「ミスをしても注意されない職場=心理的安全性が高い」と考えたり、「社員がつらい思いをするのは心理的安全性が低い証拠だ」と短絡的に判断する向きもあります。
しかし先述の通り、それは概念の本質ではありません。
心理的安全性とは単なる楽観的・甘い職場環境ではなく、むしろ言いにくいことでも安心して言える風通しの良さを意味します。
日本企業でこの誤解が広がった背景には、日本社会特有の「和」を重んじる空気や同調圧力が影響しているとも考えられます。
もともと日本人は自分の本音や異論を積極的に口に出すことに慎重で、職場で率直に物を言うことには大きな心理的ハードルがあります。
そのため心理的安全性という概念も、「皆が傷つかない穏便な場づくり」と短絡的に捉えられ、本来のリスクを伴う率直な対話を促すという意味合いが十分に伝わっていない場合があります。
さらに、日本の現場では組織のヒエラルキーや年功序列文化とのぶつかりも見られます。
表向き「何でも言っていいよ」と言いながら、実際には上司への忖度や遠慮が根強く残り、部下が本音を言えば叱責される――といったケースも少なくありません。
昭和的な価値観をもつ管理職の中には「プレッシャーを与えることこそマネジメントだ」「部下を甘やかす心理的安全など不要だ」と公言する人もいるでしょう。
こうした文化の中で「心理的安全性」を導入しても、表面的なお題目に終わり、実際は何も変わらないという懸念も指摘されています。
4. 「定型発達」的な文化との摩擦と概念受容の課題
一部の識者は、心理的安全性の概念がいわゆる「定型発達」的な多数派文化とは相性が悪いのではないかとも指摘しています。X(旧Twitter)上でkmizu氏は、「オリジナルの心理的安全性」は決して従来の平均的な人々にとって居心地の良いものではなく、むしろ不快感を伴う厳しい場になり得るため、アメリカでも日本でも意味がねじ曲がってしまったのではないか、と述べています。
実際、心理的安全性が確保されたチームでは価値観の対立やミスの指摘による不快感さえお互い許容し合う必要があり、表面的にはストレスフルで「居心地が悪い」場面も増えるでしょう。
従来の多数派文化では、人間関係の摩擦をできるだけ避け、暗黙の調和を保つことが善とされがちです。
そのため、本来の心理的安全性が要求する「健全な衝突」や「率直な物言い」は、定型的な組織風土にとって心地よくないものに映ります。
結果として、多くの組織で心理的安全性が**「居心地の良さ」と都合よく取り違えられ**、本質が歪められて受容されている可能性があります。
この摩擦を乗り越えるには、心理的安全性の**「安心して不安を表明できる」**という逆説的な特性を正しく理解する必要があります。
つまり、「安全だからこそ意見の衝突や否定的なフィードバックという不安を敢えて引き受ける」という文化転換です。
日本でも欧米でも、従来の常識にとらわれた多数派にとっては勇気のいる転換ですが、これを避けていては心理的安全性が持つ本来の効果(創造性や学習の促進)を得ることはできません。
逆に、多様性を受け入れる組織文化づくりの一環として心理的安全性を捉えれば、少数派や発達凸凹のある人材も能力を発揮しやすくなるとの指摘もあります。
事実、心理的安全性はダイバーシティ&インクルージョン推進にも不可欠な土台だと専門家は述べています。
5. 関連する学術研究・ビジネス書・専門家の見解
心理的安全性に関する研究と文献は、この20年で豊富に蓄積されています。
エドモンドソンの1999年の論文はこの分野の嚆矢であり、チーム学習とパフォーマンスの関係を示す数々の実証研究に発展しました。
例えば前述のグーグル社内研究(2016年)もその一つで、心理的安全性がチーム効果に与える影響をデータで示したものです。
エドモンドソン自身はその後も研究を重ね、2018年に著書**『恐れのない組織(The Fearless Organization)』を発表しました。この本では、様々な企業事例を通じて心理的安全性がイノベーションや成長に不可欠であることを強調し、組織でそれを育むための具体策を提示しています。日本でも同書の翻訳版(村瀬俊朗解説・野津智子訳)が出版され、多くの経営者やマネージャーに読まれました。
加えて、日本独自の実務書も登場しています。たとえば石井遼介氏の『心理的安全性のつくりかた』では、日本企業の文脈で心理的安全性を高める方法が紹介され、現場の観点から「話しやすさ」「助け合い」といった文化醸成のステップが提案されています。また、落合・大塚らによる心理的安全性尺度の日本版開発研究(2021年)**では、東洋文化に即した尺度の必要性が議論され、日本人特有の発言抑制要因を考慮した測定手法が提案されています。これは心理的安全性の文化適応についての重要な学術的貢献です。
https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=202302292104352189 これかな
専門家の見解としては、エドモンドソンを始め多くの研究者・実務家が**「心理的安全性と高いパフォーマンスは両立する」ことを強調しています。一方で、「心理的安全性は高ければ高いほど良いとは限らない」という指摘もあります。極端に馴れ合いすぎて緊張感が皆無になれば、かえって生産性が落ちる可能性もあるためです。重要なのは安心感と健全な緊張感のバランスであり、エドモンドソンも「心理的安全性と責任追及(アカウンタビリティ)は両立できる」**と述べています。つまり、高い目標や厳しいフィードバックを避けるのではなく、それらに挑戦しつつも互いを尊重し合う文化こそが理想なのです。
最後に、日本社会において心理的安全性を根付かせるには時間と工夫が必要でしょう。**「この概念は欧米発であり、日本にはまだ早すぎる」**といった慎重な声もあります。しかし不確実性の高い現代、多様な人材が協働してイノベーションを起こすためには、心理的安全性の醸成は避けて通れません。文化的ギャップや誤解を乗り越え、本来の意義に立ち返った心理的安全性を追求することが、これからの日本企業にとって大きな課題でありチャンスと言えるでしょう。
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