徹底せよ
表面だけ取り繕っても、内面まで徹底してなければ、賢明な人はそれを見て軽蔑するだけである。
徹底せよ
xlviii 徹底せよ。
どの程度かは人による。内面は少なくとも外見と同じでなければならない。表向きだけの性格もある。例えば、手段がないために、宮殿の玄関がコテージの部屋に通じているような家もある。そのような人には、退屈はしても、最初の挨拶で会話が途切れてしまっては意味がない。彼らは最初の賛辞をシチリアの棘のように跳ね飛ばすが、すぐに沈黙が訪れる。なぜなら、思考の泉がないところでは、言葉の流れはすぐに止まってしまうからだ。他の人々は、自分たちが表面しか見ていないために、彼らに取り込まれるかもしれないが、賢明な人々は、彼らの内側を見て、そこには軽蔑の材料以外何も見出せない。