徳倫理
徳倫理
徳に従って行動すれば幸せである、という前提
ソクラテス「正義に従うことが大事だと言ってきた自分が脱獄するのは正義に反するし、それで生き延びても幸せではないから死ぬ」
その人それぞれ「幸福」が違う
「愚かな金持ちを騙して金品を奪い、それを貧しい子供に分配するのが正義」と思ってる人がいたら詐欺行為は善なのか?
個々人が自律的で理性的な存在だと前提されてるから、これはその人にとっての「善」になりそう
アンスコム「義務論や功利主義は行為中心的で良くない、徳倫理は行為者中心的」
義務論や功利主義は規範を示すだけであって、人をそれに動機づけるものではない
徳が多種多様なら社会がうまくいかないのでは
「私は何を行うべきか」に答えが出せるのは「どんな物語の中で私は自分の役を見つけるのか」に答えを出せる場合だけ
義務論や功利主義は個人を捨象してしまったから「個人の役割」を表現できない
倫理学が普遍的な善を定義しようとした結果、取りこぼされた情報がある