寓意と象徴
後にゲーテは自己とシラーとの相違について、「寓意」と「象徴」との関係に即して以下のように説明している。「詩人が、シラーのように普遍のために特殊を求めるのと、ゲーテのように特殊のなかに普遍を見るのとでは、大きな相違がある。前者のやり方からは寓意が生じ、そこでは特殊が普遍の単なる事例、実例となっている。一方、後者は、真に文芸(Poesie)の本質であって、普遍を思い起こしたり指示したりすることなく、一つの特殊を言い表わす。さて、この特殊を生き生きと捉える人は、それと気づかずに、あるいは後になってやっと気づくのだが、同時に普遍を手に入れているのである」(MR27)後者が、ゲーテによって「象徴」と呼ばれるものであることは明らかである 「普遍を獲得」がピンとこない人もいると思う
ある新しい経験Yをしたときに「あ、これ以前にした経験Xに似ているぞ」と気づき、アナロジーによって経験Yに応用可能な知識が生み出された場合、それは「経験Xと経験Yを横断する普遍的知識を持っていた」と事後的にわかる この普遍的知識が言語化されているかどうかは重要ではない
根なし草の知識関連の絵で何度か描いて来たけど抽象概念を具体的経験と同じ丸で描いたのは良くないかも。新しい経験に対する応用のタイミングで普遍的知識=抽象概念が明瞭に言語化されてるとは限らない https://gyazo.com/f37a663cfcb2314a50f230f8801bbbef