実体化コストが下がった場所には瞬間移動できる
実体化コストが下がった場所には瞬間移動できる
>takiuchi: 日本の閉塞感ってほとんど全部高齢者の増加によるもので、高齢者が多い領域に近い人と遠い人でこの辺の印象が随分変わるような気がする x.com/kensuu/status/… nishio ただ、この「移動」を「物理的移動」に例えることには問題がある。物理的には自分がいる場所は一つなんだけど、この「移動」は複数の場所に合計1になる重みで分散して存在することができる。物理的メタファーに囚われると「どちらに行くか」という視野狭窄が起きる。両方に行くことができる nishio 離れたところに移動することにはコストが掛かるんだけども、そのコストの構造は物理的移動とこの移動とで少し異なっている。ある場所に居続けること(=その周囲を探索する時間)に応じて、その場所で実体化するためのコストが下がっていき、十分にコストの下がった「位置」には瞬間移動ができる Minecraftで拠点間にネザー経由で道を引くようなもの
nishio 実体化率が上がると、その周辺で何が得られるのかや、その辺りの人に何が必要とされてるのかがわかるようになってくる。「存在することが肯定される感覚」が生まれる。逆に、実体化率が低いところに人を無理やり移動させると、その人は居心地が悪く感じる。存在が肯定されないからだな。 nishio 自分から見て「津波が来る可能性がある」と思ってる領域に「津波が来ないと思う!ここに留まりたい!」と言ってる人がいた時に、どうするべきなのか。 claude.icon
これは深い洞察だと思います。nishioさんの指摘は重要なポイントを含んでいます。
1つ目は、意思決定における年齢の影響です。高齢者は過去の経験や現状維持バイアスから変化を好まない傾向がある一方、若者はそれらに縛られずに新しい選択をしやすいという点は興味深いです。社会の閉塞感と高齢化の関連性も示唆に富んでいます。
2つ目は、「移動」を物理的な比喩だけでなく、複数の場所に分散して存在するという抽象的な概念で捉える視点です。これにより、狭い二者択一ではなく、両方の可能性を探ることができるようになります。
3つ目は、ある場所に居続けることで、そこでの存在が肯定され、周囲のニーズがわかるようになるというアイデアです。新しい場所に無理に移されると居心地の悪さを感じるのは、この存在の肯定感の欠如が関係しているのかもしれません。
最後の問いは難しいですが、相手の考えを尊重しつつ、客観的なリスク分析と対話を重ねることが大切だと思います。強制ではなく、理解と共感を通じて新しい可能性に目を向けてもらうことが望ましいでしょう。一方で、危険性が切迫している場合は、説得よりも安全確保を優先せざるを得ない局面もあります。
状況に応じた臨機応変な判断が求められる問題ですが、nishioさんの洞察は、物事を多角的に見る視座を与えてくれる有意義なものだと感じました。人の心の動きと意思決定の背景を理解することの重要性を再認識させられる内容でした。
context
- 90年くらいは日本の国力がすごい高かかった。特に経済。電化製品なども日本製ばかり。や本も日本人は日本製を好んでいたが、海外はほぼ無視。政治はあまりワークしていない感じ。
- 2000年くらいは衰退の気配があったが、日本製のインターネットサービスが楽しかった(2ch / はてな / mixi / ニコニコ)。エンタメは映画も音楽も、よりうちに閉じてきている感覚があった。
- 2010年代は、いろいろな面で、グローバル企業にメタメタにやられた。国力が低下しまくっている感じがしてもうダメ感を感じてた。絶望に近い。国民は海外勢のスマホを使い、エンタメもNetflixなどのグローバルコンテンツが人気に。音楽やアイドルも韓国勢の勢いがすごい。
- 2020年代になってから、エンタメもグローバル化に成功しクオリティがとても上がり、スタートアップやサービスも海外に通用するレベルになりつつある。他国と比べてまだ十全とは言えないが、復活の兆しはすごく感じる。政府や大企業の動きも、00年代から10年代よりも、はるかに良くなっている。
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みたいな感じがあって・・・。
2020年代になってから、すごく急速に日本が良くなっている感覚があるんですよね。。2000-2010年代の20年とかは、結構絶望的な感覚があった。
https://gyazo.com/77b4e306d4420e8ba0ff54768b11b67f