子供を天才と呼ぶこと
絶対的な基準ですごい人はともかく、「その年齢でそれはすごい」という、いわゆる早熟な人を「天才○学生」とか呼ぶのはどうなのかなぁ。これ、まわりにも本人にも良くない気がする。
こういう時、僕は「つよい」という言葉を使うのが好きだな。絶対的にすごい人にも、早熟型の人にも使える。それに「天才になりたい」「もっと天才になりたい」とは言わないけど、「つよくなりたい」「もっとつよくなりたい」とは言えるのが良い。「天才」という単語には諦めが入ってる気がする。
このツイートに触発されて呟いたこと
子供を「天才」と呼ぶと、天才と呼ばれたことのない大人の一部が嫉妬して「天才って言われてるけど大したことない」とか「天才なのにこんなことも知らないの?」みたいな呪いの言葉を吐き始める 「できないのが当たり前の状態」だと何にチャレンジしても失うものはないのだが、ひとたび「できるのが当たり前」と自分や周囲が認識すると、失敗しうるチャレンジに対して恐怖を感じて無意識に避けてしまう。 まだ世の中にないものを生み出すためには「自力で前に進む力」が必要で、なのでその力を持った若者にスポットライトを当ててリソース集約を促すわけなんだけど、そのライトが周囲の大人の呪詛や本人の失う恐怖を生み出してるのだとするとなんかの改善が必要だ 「天才」と「つよい」を比較すると、前者は「天才」と「非-天才」の二分法なのに対して、後者は連続的な値なのだな。
二分法は「非-天才」から「天才」への嫉妬や、「天才」が「非-天才」に落ちる恐怖を引き起こしてしまう。誤った二分法。 連想接続