参加型予算編成の方が参加型政策立案よりやりやすい
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gpt.icon参加型予算編成が参加型政策立案よりやりやすいと言われる理由にはいくつかのポイントがあります。
具体性と範囲の限定:
予算編成は具体的な資金の配分に関するものであり、範囲が明確です。一方、政策立案は広範で抽象的なアイデアを扱うことが多く、議論が複雑化しやすいです。 予算編成では資金の使い道が具体的に決まるため、参加者は自分たちの意見がどのように反映されるかを直感的に理解しやすいです。政策立案では成果が目に見えにくく、実感が湧きにくいことがあります。
お金の使い道に直接関与できるため、参加者の関心や動機付けが高まりやすいです。政策立案は抽象度が高く、参加者の興味を引くのが難しい場合があります。
意思決定のプロセス:
予算編成のプロセスは比較的標準化されており、参加型プロセスを取り入れやすいです。政策立案は多様な意見をまとめる必要があり、コンセンサスを得るのが難しいことがあります。
これらの理由から、参加型予算編成の方が参加型政策立案よりもやりやすいと感じられることが多いのです。
なるほどな〜nishio.icon
政策立案だと方針や計画やルールを定めるわけなので、現在存在する具体的な事例ではなく、「将来発生しうる事例」について考えないといけない しかし、この「将来発生しうる事例」の集合がそもそも食い違ってる
専門的に情報収集してない限り、みんな自分の身近な事例のことしか想像しにくいからね
抽象度が高いからイデオロギーの争いになりやすい
「AIよくわからん、不安」や「AIで自分の今の仕事には不利益がある」が「AIは悪」に変わったりする
イデオロギーの争いは水掛け論になりやすい
「正しさ」の争いだから
Linuxコミッターの小崎 資広さんにインタビューした時の話を思い出した(2014) 当時の僕もこう書いてた:
哲学の用語としての実用主義(プラグマティズム)は「普遍的な真理は存在せず、自分にとって有益かどうかで自分にとっての真理が決まる」という考え方を指す言葉です。この考え方は不毛な争いを避ける上でとても有用です。 参加型予算編成は「予算をこれに使うことは自分にとって有益か?」というプラグマティズム的な思考パターンを引き出すんだな
「正しさ」と違って、人それぞれ違っていることが自然