公明正大+グループウェア
世の中には「人はイコールであるべき」という思想があって、良さげな言葉だと「平等」悪い言葉だと「同調圧力」と呼ぶ。 で、この「イコールであるべき」思想の下では「誰かの不満を解消するために新しい制度を作る」という行為が「その人だけ得をしてずるい、イコールじゃない」とネガティヴに評価される。
で、100人100通りの人事制度なんてのをやるサイボウズはこの「イコールであるべき」思想がない。
逆に「人それぞれ違う」という思想。
で、その前提の下では代わりにどういう「善の定義」を持っているかというと、それが「公明正大」なのであろう。 新しく制度を作るときに、今まで言語化されてなかったニーズを言語化したタイミングでは想定ユーザは自分一人とか数人だが、それを検討したりする過程で「公明正大」「公に明らかに正しいと声を大にして言う」の原則によって情報共有が行われ、それを見て「私も欲しかった」と雪だるま式に膨らむ。
逆に新しい制度を導入するときに「この制度でこれくらいの人数がハッピーになるんです」といわなければいけない環境では、ボトムからどんどん提案されるような風土が作りづらい。
提案者に高いコストが押し付けられているからだ。
「我慢する、辞める」と「提案して制度を変える」のコストが後者の方が安いから提案が起きる
そうでないなら起きない。
とか書いてたら記事が流れてきた
サイボウズの働き方改革の起点はここです。「この制度は、Aさんのために設けます」「Bさんの希望を実現できるように、制度のこの部分を変更します」という考え方で、社内の仕組みを変え続けているのです。
世の中にはこれを「不平等」と捉える風土の会社もあって、そういうところではまずその「善の定義」が変わる必要がある
が、まあ難しいだろうなぁ
ひとりひとりを見た人事制度をやろうと思ったら、今より負担はだいぶ増えるので、社員を減らすか人事を増やすかのどちらかが必要になりそう