借り物の主観
「客観的に判断する」と言いながら「誰か自分ではない人がそうだと言ったから」という「他人の主観」で判断している人がいる。 結局誰かの主観なので判断の質は上がってない。その「誰か」は判断に必要な情報を自分ほどは知らないことがしばしばある。その場合は判断の質が下がることの方が多い。
自分の主観によって主体的に判断することに自信がないため、借り物の主観を「客観」と呼んで、自分の主観的判断よりも優れたものであると考え、それに判断を委ねることで無意識に「自分が判断する責任」から逃れている。 その「自分が『客観』と呼んでいるもの」が本当に「客観」なのか、その判断の方が難しいんだけど、その判断の妥当性については考えない人が多い