信仰について
A: キリスト教徒にも色々定義があるだろうと思うけど、多分大部分の定義ではキリスト教徒にならないと思う
聖書から引用することは時々あるが、それは良いことを言っている書物から引用しているだけであって、聖書に限らずドラッカーでも論語でも松下幸之助でも僕の中では同じように認識されている
神の実在について
超越者が存在する可能性は否定しないが、存在するかどうかは不可知である
超越者が人間に似た姿形をしているとか、人間に対して人間の使っている言語でコミュニケーションをとるとかは、無理のある仮説だと感じる
人間が最も優れた種である(だから超越者は人間に似ている)という思想には強い違和感がある
A: 世界の状況から見たときに一番語弊の少ないのは「仏教徒」だろう 仏教にも色々あるわけだが、まず顕教⇔密教の分類で言えば顕教 つまり「教えは書き表されている」「教えは書き表されていない」の二択であれば「書き表されている」を取る
これは書き表されていないものは伝達の過程で歪んでいる可能性が書かれたものより高いから
しかし密教の特徴である「即身成仏」思想を採用している 即身成仏:この現世においてこの身のままに悟りを得ることが可能という考え方 悟りを得ることによって「仏になる」という考えから成仏と呼ばれているが、僕は「仏」は未定義語だと考えている 悟りを得たと感じても、さらなる悟りがあるかもしれないので、悟りを求める道は死ぬまで続ける必要がある
何らかの呪文・真言・念仏の類を唱えることのみによって幸福が訪れるとは考えない
頭を使わない単純作業で救われるという思想は頭の悪い人向けのミームであり有害だと考えている 頭を使った正しい努力が必要である
例えば、Twitterをみて、ムッとして反論しようとしたとする。これを理性の力によって「自分はTwitterの刺激により怒りを生じた、そしてその怒りの感情に任せて投稿しようとしている」と「観る」して「怒りは毒であり、それは苦を生むだけである」と考え、行為を止めるのがヴィパッサナーである