会話は卓球ではなく音楽
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会話は卓球ではなく音楽
たとえば,筆者はあるとき「そうか!会話は卓球じゃなくて音楽なんだ!」と気づきました。これだけ読んでも意味はわからないことでしょう。しかし本人は,自分の感じていることを言語化できたと感じています。では,これを伝わる言語に噛み砕いていきましょう。
卓球のラリーでは,飛んできた玉をすぐに打ち返すことが大事です。打ち返せないと,負けます。会話でも「相手の発言にすばやく返答すること」が大事だ,そう自分が思っていることに,このとき気づきました。
しかし,音楽は卓球とは違います。「音楽とは,音と音の間の静寂のことである」(注8)と言われるように,間があるからこそ音が生きてきます。
会話においても,言葉と言葉の間の,黙っている時間に価値があります。黙っている間に,自分の奥深くの「まだ言語化されていないもの」が汲み出され,結晶化し,新しい気づきが生まれ,次の言葉に力を持たせるのです。
これが「卓球ではなく音楽のように」というメタファーが生まれたときに,筆者の中で結晶化したコンセプトだったのです。何か伝えたい内容があり,それをわかりやすく説明するためにメタファーを生んだのではありません。先にメタファーが生まれ,それをわかりやすくするために補足説明をつけてこの文章が生まれたのです。
注8)
──Claude Debussy