付箋の粒度
付箋に書かれる情報の量
一単語のものは、多少あってもいいが、そういうのばっかりだとグループ化に支障がでる
「長文」は情報量が多すぎる
適度な長さの短文が良い
しかし、これを先に言うと書き出し法に慣れていない人に「適度な長さの文章を書かなきゃ」というプレッシャーを与えて、書き出しが出にくくなる。これは以前からの悩みだった。
昨日のKJ法セッションで無意識にやったけど一単語だけでてきた時に「もう一単語つけられます?」ってアシストしたのは良かったな。制約を増やすと書き出しができなくなっちゃう人が多いので「何を書いてもいい」って普段は言うのだけど、書いた直後にもっと太らせるようにアシストするのは書き出しを萎縮させない。
逆に長文を書いてしまう人にも、「ではこれを一文でいうとどうなる?」みたいに事後的に削ればいいのかな
付箋の粒度に関してのアシストは機械的にサポートできそうだな
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一単語のものは、多少あってもいいが、そういうのばっかりだとグループ化に支障がでる
「長文」は情報量が多すぎる
一単語のものの例
一単語
長文
抽象化されすぎていて、これ自体が「分類の枠」として機能してしまいそうになる危険性がある
対処法
一単語のものばかりというわけでなければ特に対象は必要ない
やるなら「もう一単語書き加えるなら何?」とかの太らせる質問
「一単語」→「一単語は抽象的すぎ」
「長文」→「長文は分割しよう」
長すぎる例
一単語のものは、多少あってもいいが、そういうのばっかりだとグループ化に支障がでる
テキストエディタなどだと無意識にこういう長さのものを書いてしまう
付箋に手で書いているときには
手を動かす速度のボトルネック
「思考の速度」と「アウトプットの速度」の比
「手で書くのがめんどくさい」ことのポジティブな効果
によって自然と圧縮されている(西尾の場合)
一単語の付箋があっても良い
単語付箋ばかりだとグループ化できない
かな漢字変換をするのではなく手で書くことによって、難しい漢字を使う言葉を避けて、平たい表現を選ぶバイアスがかかる