他人をコントロールしようとする人
piro_or 馬鹿というと下に見るようなニュアンスを感じて自分の驕りにつながりそうで積極的にはそう言いたくなく、アドラー心理学あたりで言うところの「他人をコントロールしようとする人」という表現がニュートラルで良さそうに思ってよく使ってる、という気が自分はしてる piro_or 相手が「正しく」て自分が「間違って」おり自分が自ら愚行権を行使しようとしている、みたいな場面でも負い目を感じずに済む便利な考え方だと僕は思ってる piro_or 考えをくみ取るかどうかは自分の決めること、どこでそれに線を引くかも自分の決めること、線を引く責任を引き受ければ線を引く自由を得られる、必要なのはその覚悟だけ、と分かってからは線を引けるようになったと思う。 それ以前は、覚悟が必要という事が分かっていなかった。
piro_or 改めて考えると、僕の自我の確立のプロセスは、「覚悟する」という事を憶えたときに(年齢的には大人になってから)やっと始まったんじゃないかという気すらする。 piro_or それまでは、「良いとされるもの」に無限に流される木偶人形だったんじゃなかろうか。 piro_or 何かの判断について、突き詰めて考えたときに「その方が自分の主観的な好みに合致するから」と言っても全然恥ずかしくないと思えるようになってからは、ずいぶん楽になったと思う。 piro_or 「その方が正しいから」と「その方が正しいように自分には思えて、正しいと思える方が自分は好きだから」は責任の所在が異なるんすよね。 piro_or 元の(言及先の)話題は「自分が相手の話をどこまで取り入れるか」という話みたいなんだけど、ここまでに書いたような自他の境界をはっきりつけてる人は多分「それは自分は受け入れません」て言ったら引き下がってくれて、引き下がらない人にゴリ押しされた物を嫌々受け入れ続けてると病むと思ってる