交渉的 connective action
https://gyazo.com/b38e98b9f5192f9c3c60bd5db40b92a4
中山心太(tokoroten)
という横軸と
という感じで、マトリクスを書くといろいろと分かってきた感がある。
NISHIO Hirokazu
tokoroten: そうか、起点はアラブの春なのか SNSを経由した革命の失敗の反省、みたいなところが原点なのか。
nishio: Colin視点で身近なのはOccupy Wall Streetだと思うけどな
tokoroten: なるほど、時期的には、アラブの春の直後だったのか
政治思想に寄らない、SNSから自然発生した階級闘争が、妥協点を見いだせずに終わっていった、というのはなるほどなぁ
突発的に湧き上がるSNSの炎上(時に革命にまで至る)をどうコントロールして建設的にするのか、みたいなのが根底にあるのだなぁ
みんな意見はあるんだけど、それがまとまらない。
従来であれば、イデオロギーがそれをまとめ上げて、政治家が取り込んで手札にする、というのが行われていたわけだけど、
イデオロギーが運動を支配するよりも先に運動のほうが大きくなってしまった。
90年代までは運動の主体がイデオロギーだった。
イデオロギー(政党とのコミュニケーションチャネルを持つ団体)が運動を起こすことで、政治と交渉可能だった。
SNSで組成されたConnective Actionは、交渉可能な窓口を持たないので、宙に浮いて交渉力を失う
connective actionが成果を出すために、熟議システムに集まる必要がある
すげえ腹落ちした。
nishio: connective action面白い
つまり従来のイデオロギー型の動員は「共通の属性」によって人の集団が規定されていたのだが、
人XがSNSを通じて他の人Yのナラティブに共感することで繋がっていく人的ネットワークとしての動員は
XとYのコネクションがファーストクラスのオブジェクトであって
集団全体が必ずしも共通の属性を持たない家族的類似性のようなものになる
“TwitterというSNS/Social Mediaができたことで社会変化をドライブしうる公共コミュニケーションに大きな変化があった“までは自分で考えていたが、それにcollective action v.s. connective actionという名前がついてたわけだな
tokoroten:
collective actionのための政治システムとして今の議会があるのだけど、 connective actionのための政治システムが不在だった、新たな公共コミュニケーションの仕組みが必要だった。
2025-11-14
少し時間をおいて考えたが、この図を直接視聴者に見せないとしても、この概念自体はかなり有用
技術の進歩によりconnective actionが容易になったが、それにはデメリットがあった
なので更なる技術の進歩でそのデメリットを解消しようとしている
というストーリー
議論