事実確認的と行為遂行的
gpt.icon言語行為論には「事実確認的」と「行為遂行的」という二つのタイプが存在する。例えば、「あなたの仕事はどのような意味があるのか?」という質問は、単に事実を確認するもののように見えるが、その背後に「あなたの仕事に意味はないのでは?」という意味を持っていることもある。このような解釈は、文章の形式だけでは判断できない。そして、この解釈の問題は、多くの学者たちによって研究されてきた。 すべての命題は行為遂行的な解釈に開かれており、一定の意味は確定しない。しかし、コミュニケーションを円滑に進めるために、社会は一部の領域で命題を事実確認的にしか受け取らないルールを設けている。学会の論文などはその一例だ。
最近話題の「文系・理系」の議論に関しても、実際には事実確認的か行為遂行的かの解釈の水準や、その解釈を安定させる社会的メカニズムについての理解が問題となっていると考えられる。つまり、対話においては、どの水準で命題を解釈するかが鍵となる。この問題は、認識論と倫理の問題としても考えられる。
最後に、言語行為論に関する参考文献として、J・L・オースティン、ジョン・サールなどの研究や、バフチンの対話論、ベイトソンのダブルバインド論などが挙げられる。
従来の言語論が命題の真偽を主として問題にしてきたのに対し,文の発話は同時に行為の遂行となっていると指摘した。たとえば「約束する」と発話することは,すなわち「約束」という行為を行うことにほかならない。このように何かを語ることによって執行される行為を「発話内行為」という。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ある文章をどちらで解釈すべきかは、形式的な解析ではわからない
すべての命題は行為遂行的な読みに開かれている=意味が確定しない
→コミュニケーションに支障が出る
事実確認的にしか受け取らない領域(例:学会)
解釈を安定させる社会的装置
2通りの意見
命題の解釈を事実確認的水準に限定したうえで行わなければいけない
ミハイル・バフチン
対話を、事実遂行的な命題の交換ではなく、行為遂行的な命題のバトルとして考えた
必読
応用
「理系と文系」みたいな分け方はあまり好きではないので削った