主客分離
西田の議論の骨格は、人間は、心(主観)と対象(客観)が一体となっている「主客未分」の状態から、心とその対象が離れている「主客分離」の状態へ、そして、そのように分離されたものが、再び一つとなっている「主客合一」の状態へ高められるサイクルの中で生きているというものです。 近代物理学に代表される「主体」と「客体」の分離。言い換えれば「当事者」と「観察者」を分け隔てることで、客観的な分析が可能になるという考え方に対するアンチテーゼ
ヴェーダの宗教などでは、主体と客体の分離が消失する場合があるとし、それを重視する考え方もある。「主客一体」「梵我一如」などと呼ばれる。 しかし仏教、特に中観派においては、主体と客体というような二項対立的な見方を謬見として徹底的に斥ける。この延長線上で実践したのが中国唐代の禅であり、彼らの目標は「主と客」という意識(念)の起きる以前の意識の探求であった。