不寛容な攻撃性
SNSの使い方が、石丸さんと安野さんでは対照的だったのです。
不寛容な攻撃性を刺激していく方に使っていくのか、それとも民意を集約し、人と人とをつなげて創造性のある社会を作っていこうとするのか。その点が、すごく対照的だったと感じています。
政治、社会全般において、私はいま「不寛容な攻撃性」というものが気になっています。アメリカに顕著ですが、「ウソ」と「攻撃」という、この二つの紛争の要素を慎重に排除していかないと、民主主義の根幹が総崩れになっていきかねません。
そういう意味で安野さんの戦い方は、攻撃のツールではなくて、むしろ仲介のツールとして使っていくという点に新鮮さがありました。
蓮舫と石丸伸二、両氏の戦いにみた「不寛容な攻撃性」の限界値…短い賞味期限、“痛快さ”求める政治から脱却を 【菅野志桜里氏インタビュー・後編】攻撃ツールと化したSNS、“集約”のツールへと変換できるか (2/4) | JBpress (ジェイビープレス)