一般意志と熱狂と独裁政治
一般意志と熱狂と独裁政治
(東浩紀)ルソーが考えていた「一般意志」というものは、おそらく熱狂とかに近いものな のです。でも、熱狂に近い「一般意志」というものはそ のままだと当然独裁政治につながるのですね。この「熱狂こそが一般意志を生み出すのであり、間接民主制はだ めだ」という話は、実はナチス政権を結構強力にサポー トした法学者カール・シュミットが、「独裁」という本の 中で一般意志について解釈している部分と呼応します。 これは非常にすぐれた解釈なのですが、でも、結局その すぐれた解釈は当然のことながらヒトラーの独裁を肯定 するためにつくられていたのですね。 gpt.icon
シュミットの原文で特徴的な部分として以下のようなものがあります(日本語訳で紹介します)。
「主権者とは、例外状態において決定を下す者である。そして、その決定によって一般意志は形を持ち、真の共同体の意志が生まれる。」
シュミットはここで、例外的な状況、つまり通常の法秩序が機能しないときに、主権者(独裁者)が決断する力を持ち、その決断こそが共同体の「一般意志」を具体化すると論じています。彼は、一般意志はただ漠然と存在するものではなく、リーダーによって明確にされ、行動に移されることで初めて意味を持つと主張しています。 この解釈の背景には、シュミットが「民主制」に対して懐疑的であり、間接民主制(代議制)によって一般意志が歪められるという批判があります。ルソーの「一般意志」への強調と、直接的な決断やリーダーシップによる政治が真の共同体の意思を形成すると見る点で、シュミットの独裁擁護とルソーの思想は共鳴しています。 しかし、シュミットのこうした解釈は、1930年代のナチスの台頭を受けてヒトラーの独裁を正当化する理論的な基盤となりました。シュミットにとって、強力なリーダーによる決断とそれに続く国民の熱狂的な支持は、一般意志の具体化であり、それが独裁体制の正当性を支えるものだったのです。
要約すると、シュミットは「一般意志」をルソーの理想から「リーダーが例外状態で下す決定」と再解釈し、それを独裁政治の正当化に結びつけました。この解釈は、民主制の不完全さを批判する一方で、独裁を肯定する方向に働いたのです。 nishio.iconこの文章だけでは独裁者を肯定する理由が分かりません
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独裁者を肯定するシュミットの論理を理解するには、彼の「例外状態」と「主権」の概念を深く掘り下げる必要があります。シュミットは、「例外状態」(Ausnahmezustand)とは、通常の法や秩序が通用しない危機的な状況のことで、そうした状況では、迅速かつ強力な決断が求められると考えました。 通常の民主制では、手続きや議論を通して意思決定が行われますが、シュミットはこのプロセスが例外状態においては遅く、無力であると批判しました。つまり、通常の民主的な手続きを守っていると、緊急事態に対応することができず、社会全体の秩序や安全を守れなくなるというのがシュミットの考えです。 ここで「主権者」が重要になります。シュミットは、「主権者とは例外状態において決定を下す者である」と述べました。すなわち、独裁者のような強いリーダーが、緊急事態において必要な決断を下すことで、一般意志を具体化し、共同体の安定を守ることができると考えたのです。
このため、シュミットは独裁を肯定する論理として「迅速な決断力」を強調しました。彼の考えでは、民主制は通常時には有効ですが、緊急時には権力が集中し、即時の意思決定が可能な独裁者が社会の維持や復興のために必要とされます。そして、この決断こそが一般意志を表していると見なされます。 要するに、シュミットは、独裁者が例外状態で迅速な意思決定を行うことで、社会の秩序や安定を保つとともに、全体の利益を守る役割を果たすと考えました。この考え方が、ナチス政権下でヒトラーの独裁を正当化する理論として利用されたのです。
nishio.icon有事のマネジメントとして民主制は遅すぎて有益でないということか。それは正しいと思う。技術の進歩によって「もっと速い民主主義」が生まれるのが文明の進歩の方向性かなと思う。